全てを見守る大きく温かな視線
ともすれば暴力的な力を持つ多様性を尊重するという言葉が多用され、区別することで分離が進む社会の中では正しさの基準も曖昧になっている。こういった時代だからこそ金さんの作品の前で足を止めてみてはどうだろう。
私は多様性という言葉が流行語のように使われることに違和感がある。元来、人はそれぞれ違う。同じ言語を話すからといって必ずしもコミュニケーションがスムーズか? 理解が得られるのか? というとそんなことはない。表面的な多様性に対し多様性の尊重をうたい、実際は深く関わらないことで排除はしていないという形をとっている場合も多いのではと感じる。そもそも個々に尊重しあっていれば多様性を尊重するといった言葉がはやることはないはずなのだ。
多様性の尊重、多様性の受容といったテーマを表現に落とし込む際、どうしても区別することで逆に差異が誇張されてしまうのを目にすることがあるが、金さんの作品からはそのような印象は受けない。風刺のような政治的なメッセージや区別することで生まれてくる分離も見受けられず、そういったところから遠く離れた場所から俯瞰したような、全てを見守る大きく温かな視線を感じる。そしてその視線はそのまま作品へ向かう真摯さ丁寧さへ、同じく被写体に、人に対する真摯さ丁寧さへとつながっている。
その姿勢は作品が写真であっても映像であっても写真的なアプローチで被写体を捉え続ける。金さんの「多様であることは普遍である」というテーマ、個々のプロジェクトのコンセプトと作品にずれはなく、その素直さはとても美しく作品に力をもたらしている。
マジョリティーがマイノリティーを受け入れるという意味の受容ではなく、お互いに違いはあるけれど、それを認め合うという意味での多様性の尊重がそこにはある。(写真家・澤田知子氏)