ミシェル・ウエルベック『服従』がフランスで発売された今年の1月7日、イスラム過激派の若者たちがシャルリー・エブド紙を襲撃し、12人を殺害した。その日発売された同紙の表紙には大きな鼻をさらに大きく描かれたウエルベックの似顔絵が掲載され、彼を預言者にたとえていた。それは、ウエルベックの過去の作品が近未来を先取りしてきた証しであり、『服従』に対する期待の表れでもあった。
 小説の舞台は2022年のフランス。大統領選の結果、極右の国民戦線を抑え、イスラーム同胞党が政権を担うことになる。この政党の背後には湾岸諸国がついていて、リーダーはオイル・マネーを活用して社会の不満を抑えつつ穏健にイスラム化を進めていく。
 そして、パリを歩く女性たちはパンタロンをはいて肌の露出を避けるようになる。一夫多妻が認められ、男たちは10代半ばの少女を第二第三夫人としはじめる。その一方で、小説家ユイスマンスの研究者としてパリ第三大学で教授職にあった主人公は、職を失う。彼の恋人だったユダヤ人の女子大生は、選挙結果が出る前に、家族そろってイスラエルへ去っていた。
 政治にはさほど関心をもたずに40代になり、社会的評価と安定した収入を得ていた主人公。独身ながら性的にも自由に生活していた彼は、充分すぎる年金をもらうことになる。しかも、長く離れて暮らす父が急死し、たっぷりと遺産まで転がりこむ。早すぎるとはいえ、恵まれた余生を送る条件がそろった彼は、ユイスマンスよろしくカトリックへの改宗を検討するが、すぐに無理と判断。そんなときに新ソルボンヌ大学への復職、つまりイスラムへの服従を求められる。若い妻たちの紹介つきで……さて主人公の選択は?
 西洋がいかにして没落し、イスラムへの服従を余儀なくされるのか。その臨界点を描いた預言者の新作は、多くの人は結局何に跪くのか淡々とシニカルにあぶり出す。

週刊朝日 2015年10月23日号