この頃の天皇家・摂関家は、政治力のある娘・彰子が幼い後一条天皇の母后として天皇大権を代行し、道長は実質的な摂関として重要事項を決定し、後一条と頼通の政権を支えていたのである。
1020(寛仁4)年、道長は壮麗な伽藍(がらん)をもつ無量寿院(法成寺)を創建した。疫病が流行する中での大規模な造営事業に批判の目を向ける公家もいた。栄華を極めた道長であったが、晩年は子どもたちに次々と先立たれ、病にも苦しめられるなど不遇であったといわれる。
多くの貴族がそうだったように、道長も「御堂関白記」と呼ばれる日記を残した。現存する世界最古の自筆日記として、2013年にはユネスコの「世界の記憶」に登録されている。平安時代の貴族にとって日記は、朝廷の公事や儀式の内容、作法を子孫に伝えるための公的な記録。詳細なものも多いが、道長の日記は内容が大ざっぱで、誤記や脱字、あて字も多く、細かいことにこだわらないおおらかな性格を表しているといわれる。
(構成 生活・文化編集部 上原千穂 永井優希)