作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニストとして活躍するジェーン・スーさんによるAERA連載「ジェーン・スーの先日、お目に掛かりまして」をお届けします。
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2024年3月11日。東日本大震災から13年が経過しました。地震の瞬間、私は小さな薬局で買い物をしていました。客は私ひとり。すぐ収まるかと思われた揺れはどんどん大きくなり、ガタガタと音を立てる棚から商品が落ちはじめたころ、これは私の知る地震ではないと確信しました。
店主が大きな声で「外に出ろ!」と叫びました。飛び出すと、見慣れた車道が上下に波打っていました。車が走るその横では、集団下校中の小学生たちが歩道で身を寄せあっている。どうしていいか、まるでわからない……。私はその場に立ち尽くすしかありませんでした。
いま振り返れば、店主の判断が正しいかもわからぬまま、急かされるように外に出たのは不注意でした。落下物があるかもしれませんし、車が突っ込んでくるかもしれない。私はあまりにも冷静さを欠いていました。知識も準備もなかったとも言えるでしょう。
にもかかわらず、当時の記憶や緊張感が薄れつつあることは恥ずかしながら否めません。あれほど大きな衝撃を受けたというのに。
新しい毎日が、止めどなく私の記憶を上書きしていきました。しかし、いまだ3万人近い被災者が避難生活を送っている現実。住んでいた場所に戻れない人々。事実に想いを馳せると、なにも終わっていないと痛感します。どんなに復興が捗(はかど)っても、被災した人々にとっての「新しい毎日」は、あの日と地続き。この当たり前を、私はときどき忘れてしまう。先日、熊本城で壊れたままの石垣の痛ましい姿を見たばかりなのに。
今年は元日から能登半島が大きな地震に見舞われました。私が住む国は災害大国なのだと、改めて思い知らされました。3月11日の新聞やニュースは各社震災を扱っており、能登半島地震と併記されたものもいくつかありました。