では、この日本で、私たちはどんな最期を迎えるのだろうか。いま注目されているのは「尊厳死」だ。
自分の病気が治る見込みがなく、死期が迫ってきたときに、延命治療を断り、安らかで自然な死を自ら選ぶことだ。日本尊厳死協会の北村義浩理事長は、こう説明する。
「医療の進歩によって、手術や人工呼吸器、胃ろうの装着で死期を延ばすことが可能です。でも、死期を必死で延ばし、その期間を病いと闘いながら荒々しく過ごすのはつらい。医療費も高額です。だったら延命治療をやめて、好きなことを存分にやって、安らかに最期を迎えよう、と。近年、賛同者が増えてきています」
同協会では「リビング・ウイル」と題した書面を登録することができる。「延命治療は望まない」「痛みを和らげる緩和ケアはする」などと書かれ、署名するもので、元気なうちに作成することを勧めているという。医師でもある北村理事長は、
「安楽死は『いま殺して』というものであり、要件を確認する人や薬を投入する医療者が必要な殺人行為です。わが国では認められていません。対して尊厳死は『お迎えがきたら乗ります』という意思表示をしておくもの。本人の自己決定を大切にしているし、患者本人も周囲の家族や友人も心を整理することができます」
とした上で、
「日本では死ぬことについて話すことがタブー視される傾向がありますが、自分の最期について話すことは、どう生きたいかを考えることでもあります。それ自体が生きる糧になる」
若い世代を中心に生きづらさや閉塞感が蔓延する時代だ。前出の児玉さんは、「死にたい」という気持ちを抱える人がいることには理解を示しつつ、今やるべきことについて、こう話す。
「困難な時代を生きる苦しさが『安楽死を』という声で表現されているように思いますが、十分な知識を欠いたイメージだけで安楽死が議論されるのはとても危険なことです。それよりも社会保障のあり方を見直す具体的な議論がされるべきでしょう」
(編集部・古田真梨子)
※AERA 2024年3月25日号