東浩紀/批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役
東浩紀/批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役

 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 行動制限のない正月が戻ってきた。初詣は賑(にぎ)わい初売りには行列ができた。海外旅行も回復し始めた。

 大変喜ばしいことだが、感染が収束したわけではない。実際は現在の感染者数は昨年や一昨年の正月に比べて桁違いに多い。にもかかわらずこの落ち着きはなんなのか。

 医療従事者の努力、ワクチンの普及、ウイルスの弱毒化など多くの要因が挙げられる。しかし本質は多くの人が「コロナに慣れた」ことにあると考えるべきだろう。パンデミックが始まってそろそろ3年、連日発表される感染者数に一喜一憂し、次から次へ現れる専門用語に翻弄(ほんろう)された異常事態がようやく終わりつつあるようだ。

 慣れたと記すと否定的に響くかもしれない。けれど「リテラシーが上がった」と捉えることもできる。感染症に限らず世の中には様々な危険がある。事故もあるし災害もある。それでも生きていかねばならない。人々はコロナの危険を忘れたわけではない。現実的な付き合い方がわかってきたのである。

 コロナ禍はネット普及後最初のパンデミックで、インフォデミックとも呼ばれた。膨大な情報が飛び交い、ネットはにわかの専門家だらけになった。けれども本当のリテラシーは、データの断片を集めてわかった気になることではなく、わかることとわからないことの全体を呑(の)み込み、生活する知恵を身につけることにある。

 昨年末には中国がついにゼロコロナ戦略を放棄した。似た方針は一時日本でも熱心に唱えられた。しかし感染拡大を完全に抑えるのは不可能で、どこかで妥協するしかないことは初期から指摘されていた。本来目指すべきなのは、ゼロコロナではなくゼロパニックだったはずである。その点、日本でもメディアや専門家がどこまで責を果たしていたのか、しっかり検証を始めるべきだろう。

 これはコロナだけの話ではない。新たな危機が生まれ社会が不安に陥ると、極論が正義に見え支持を集めてしまうことがある。けれども現実はゼロかイチかでは割り切れない。戦争やテロなど先行きの見えない時代だからこそ、「不安商売」には警戒しておきたいと思う。

◎東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数

AERA 2023年1月16日号

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東浩紀

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東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数

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