高橋尚子、土佐礼子、渋井陽子、坂本直子、福士加代子らとともに女子マラソン黄金期を築いた。「良きライバルの存在も競技生活の支えだった」(撮影/編集部・古田真梨子)

「苦しい時期があったからこそ、周囲に目を向けられるようになった。すべて自分に必要な時間だったと思ってる」

 夢を諦め、チームを離れていく選手を何人も見送ってきた。

「寂しかったよ。特に05年、親友のイク(1500メートル元日本記録保持者・尾池育子さん)がやめた時は、本当につらかった。毎年入ってくる若い選手とのジェネレーションギャップが次第に大きくなってきて、チーム内で孤立していくような感覚もあった」 と打ち明ける。

 16年3月、リオ五輪の選考レースに破れ、引退を決意。同年夏に、結婚し、夫の赴任先の上海で2年間暮らした。語学学校や料理教室に通い、現地で知り合った異業種の仲間とよく飲みに行った。半年ほどは全く走らず、「普通の生活」を満喫したという。

「楽しかった。でも、お酒をじゃんじゃん飲んでたら、ある日毒素がたまっているようで気持ち悪くなっちゃって(笑)。汗をかきたい!と、走ってみたら最高に気持ちよかった。心が整理されるし、ああ走るっていいなぁ、と」

 いま、岩谷産業陸上競技部のアドバイザーとしてグラウンドに顔を出すほか、ゲストランナー、解説者として充実した日々を送っている。引退するまで長らく引き出しに仕舞ったままだった金メダルは、全国各地を一緒に回るうちにやや日焼けし、紐には毛玉ができ、いい味が出てきているという。

「これまでの感謝を込めて、夢を追いかけることの素晴らしさを伝えていきたい。それと、美味しい酒を飲むためにも走り続けたい」

 そう言って「ふふふ」と笑った顔と仕草は、現役時代のままだった。ご縁に感謝。ありがとうございました。

(編集部・古田真梨子)

AERA 2024年3月18日号

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古田真梨子

古田真梨子

AERA記者。朝日新聞社入社後、福島→横浜→東京社会部→週刊朝日編集部を経て現職。 途中、休職して南インド・ベンガル―ルに渡り、家族とともに3年半を過ごしました。 京都出身。中高保健体育教員免許。2児の子育て中。

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