野口みずき(のぐち・みずき)/1978年生まれ、三重県出身。高校卒業後、「足が壊れるまで走ります」と宣言して実業団入り。著書に『野口みずきの練習日誌 金メダリストのマラソントレーニング』(撮影/編集部・古田真梨子)
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 新連載「会いたい人に会いに行く」は、その名の通り、AERA編集部員が「会いたい人に会いに行く」企画。第2回はあの金メダリストに、寮で隣の部屋だった記者が会いに行きました。

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 じっくり話すのは、実に20年ぶり。いや、そもそも同じチームにいた頃、すでに海外レースや合宿で世界を飛び回っていた野口みずきさん(45)とゆっくり話す機会は、ほとんどなかったような気がする。

 2004年のアテネ五輪女子マラソンで金メダル。翌05年、ベルリンマラソンで樹立した2時間19分12秒の日本記録は、今年1月の大阪国際女子マラソンで前田穂南選手(天満屋)が2時間18分59秒で走るまで、19年間破られることがなかった大記録だ。当時を振り返って、こう話してくれた。

「どんな練習もつらいと思ったことがなかった。伊勢神宮の近くで育ち、ギリシャの地で金メダルにたどり着いた。たくさんの神様に導かれているような不思議な感覚があった」

 日本記録更新は、解説者として乗り込んだ中継車で、ワクワクしながら見届けたという。

「途中からペースメーカーを置き去りにする圧巻の走り。18分台に突入したことも嬉しいし、何より、その現場に立ち会えたことが幸せだった」

 前田選手を指導する武冨豊監督は、野口さんが高校卒業後ずっと指導を受けてきた岩谷産業陸上競技部の廣瀬永和監督に当時の練習メニューやタイムを聞き、参考にしていたという。

「監督同士がリスペクトしあっている関係性がとても素敵。練習量が多すぎると故障するからと質を重視する傾向が強まっていたけれど、やっぱりマラソンには思い切った練習が必要だと思う。そのことを証明してくれたレースだった」

 野口さんが陸上を始めたのは、中学1年の時だ。37歳で引退するまでの25年間の競技人生は、良いことばかりではなかった。08年の北京五輪を欠場し、バッシングを受けたこともある。故障が長引き「やめたい」と漏らすと、廣瀬監督に「俺も責任をとって一緒にやめる」と言われ、その想いに涙した日もある。

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古田真梨子

古田真梨子

AERA記者。朝日新聞社入社後、福島→横浜→東京社会部→週刊朝日編集部を経て現職。 途中、休職して南インド・ベンガル―ルに渡り、家族とともに3年半を過ごしました。 京都出身。中高保健体育教員免許。2児の子育て中。

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