放送中の大河ドラマ「光る君へ」で、ユースケ・サンタマリアが演じる安倍晴明は、藤原道長が厚い信頼を寄せた陰陽師として知られる。3月10日放送の第10話では、道長の父・藤原兼家が、清明の力を借りて花山天皇の退位と孫の懐仁親王擁立をたくらむ様が描かれる。
藤原兼家・道長親子の命運をも握った陰陽師・安倍晴明とは、どんな人物だったのか。そして、陰陽道とはどのようなものだったのか。『出来事と文化が同時にわかる 平安時代』(監修 伊藤賀一/編集 かみゆ歴史編集部)を引用する形でリポートしたい。
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安倍晴明は、10世紀頃に実在した当代随一の陰陽師だ。数多くの神秘的な説話が伝えられるが、その生涯は謎につつまれている。
記録によると、晴明の人生は意外にも遅咲きだったことがうかがえる。文献に初めて現れたのは、平安時代中期の960(天徳4)年。40歳頃に天文得業生(てんもんとくごうしょう/陰陽寮の学生)であったという。翌年には陰陽師に任じられ、51歳頃に陰陽寮の天文部門のトップである天文博士に就任。83歳で亡くなるまで活躍したという。
晴明昇進のきっかけは、陰陽道における最高位の家系である賀茂忠行・保憲父子への弟子入りだった。説話集『今昔(こんじゃく)物語集』には、賀茂忠行に同行していた晴明が鬼を見て、寝ていた忠行を起こして事なきを得たという話がでてくる。
陰陽頭であった忠行は、我が子・保憲と弟子・晴明という二人の非凡な後継者が出たため、保憲には暦道を、晴明には天文道を伝授した。以降、陰陽道は賀茂家と安倍(土御門)家に分担されるようになったという。
そもそも、陰陽道とは日々の吉凶を知るためのもの。平安貴族は毎日、陰陽道に基づいて陰陽師が作成した暦を確認してから生活していた。暦には凶日(災が起こる日)が示され、貴族は身を清めて家にこもる物忌(ものいみ)や、悪いとされる方位を避けて別の家に泊まる方違(かたたがえ)など、暦に従って行動を制限することもあった。