楽屋では競馬中継を見ている。「勝とうとは思ってない。負けた分、運が競馬を経由して純烈に返ってくる気がする。投資です」(酒井)。合間にメンバーを観察しながらセットリストを決める(撮影/工藤隆太郎)

朦朧とした意識のなかで クール・ファイブの夢

 医師は「リハビリをやっても普通に歩けないかもしれない」と言う。背中からモルヒネを投与され、朦朧(もうろう)とした意識のなかで俳優がダメになったらどうしようと考え続けた。その夜、内山田洋とクール・ファイブの夢を見る。なぜ?と考える中で、直立不動で歌うメインボーカルの前川清と自分が重なった。でも俺は歌えないし……。そのとき、点と点がつながるような閃(ひらめ)きがあった。

「そうか、俺は前川さんの後ろでワワワワーとコーラスをするクール・ファイブさんをやればいい。じゃあ、メインボーカルとして白川(裕二郎)を口説かなあかんな、と。甘い歌声なのはカラオケに行って知ってたから。なんで前川さんだったのかは、俺は馬主になるのが夢で、芸能界にはどんな馬主がいるのかも調べていたんです。前川さんも馬主なので、それも理由の一つだと思う。あの時の俺は天才だった。純烈の司令塔はこのベッド上にいる俺。そのあとの俺は、この俺が考えたことを実行していく末端作業員です」(酒井)

 白川は「忍風戦隊ハリケンジャー」でカブトライジャー役を務め、酒井と共演経験も多く、ロフトのイベントにもよく出ていた。白川は言う。

「リーダーっておかしな人だと思われてたんですよ。付き合いがあるのを知ると、大丈夫? なんか詐欺師みたいな人だよねってよく言われてた。でも実際に会う酒井くんはものすごく面白い人で、この人と一緒だったら未来が明るいものになりそうだなって。『紅白に出たら親孝行できる』と言ってくれたのが最後の決め手ではあるんですけどね」

 07年、特撮ヒーロー出身の俳優を中心に、ムード歌謡グループ・純烈が始動。ボイトレを重ね、ついに10年、「涙の銀座線」でデビューした。

 その挑戦を家族はどう見ていたのか。酒井の妻、美紀(44)はこう語る。 

「やりたいことしか続かない人が、これだ、と見つけて始めたことだから、応援するしかなかった。それまで大変なときは中華料理屋でバイトしてくれてたんですけど、純烈を始めてからは『もうそれどころやないわ、やめる』って。『え、これで生活しろって言うの?』くらいは言ったと思うけど(笑)、強くは言わなかった。児童手当が入るたびに『よっしゃ!』でなんとか耐えてきました」

 しかし、売れない。デビューしたユニバーサルミュージックは2年で契約が切れた。それでも酒井の自信は揺るがなかった。

「ええねん、ええねん。だってまだ実力伴ってへんねやからさ、成長期間です、今はって」(酒井)

 だが、ツテを辿(たど)って歌わせてもらっていた東京・赤羽のキャバレー「ハリウッド」で演出家のテリー伊藤と出会ったことで風向きが変わる。「特撮ヒーローがムード歌謡って面白いじゃん」とラジオなどで紹介してもらううちに、12年、温浴施設から「うちで歌いませんか」と連絡が来た。これが転機となった。最初はムード歌謡に反応して施設に通う地元の高齢者が応援してくれた。さらに、客席に下りて握手して回るような距離の近いパフォーマンスは中高年マダムの心を掴み、やがて、あちこちの温浴施設にファンが詰めかける「スーパー銭湯アイドル」として話題になっていく。

(文中敬称略)(文・大道絵里子)

※記事の続きはAERA 2024年3月11日号でご覧いただけます

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