哲学者 内田樹
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 哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。

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 毎年この時期に凱風館は韓国からのお客さんをお迎えする。私の本を韓国語訳してくれている朴先生が引率するグループである。今回は総勢8名、出版関係の方が半分、それと学生と学者と休暇中の兵士。

 出版と書物の未来について話してほしいというリクエストだったので、道場に座卓を並べて2時間ほど本の話をした。

 出版危機の事情は日本も韓国もそれほど変わらない。紙の本を読む人が減っている。「町の本屋」がどんどんなくなっている。私も紙の本はついつい通販で買ってしまう。資料としては必要だが書架に加えるほどではないという本は電子書籍で済ませる。著者には申し訳ないけれど、電子書籍はいくら良書であっても、「自分の蔵書」という気がしない。

 電子書籍は読みたい時にいつでも読めるし、探す手間がかからないから、すべて電子書籍で買えばよいはずなのだが、そうならない。書架に並べたい本はやはり紙の本でなければならない。最大の理由は紙の本は「危機耐性が強い」からである。

 阪神の震災の時、わが家のスチール製の本棚は全部倒れ、ねじ曲がったが、本は床に散らばっただけで無事だった。「本というのは丈夫なものだ」とその時思った。

 たしかに電子書籍は便利だが、あれは平時標準のシステムである。停電したら使えなくなる。でも、紙の本は自然災害があっても、戦争やテロがあっても、いつでもどこでも読むことができる。私のように活字を見ていないと生きた心地がしないという人間は紙の本を手離すわけにはゆかない。

 それに、紙の本は最悪の場合手作りすることができる。紙に文字を書いて、綴じれば、本は作れる。もう何も読むものがなくなったら、私はたぶん自分で本を書いて、それを読むだろう。考えてみたら『源氏物語』の時代から、人々は自分が読みたいものは筆写していたのである。

 出版はもう「うまみのあるビジネス」ではなくなるだろうが、「本がなくては生きてゆけない人」がいなくなることはない。その人たちが本を書き、出版し、販売する営みは決して終わることがないだろう、という話をした。

AERA 2024年3月11日号

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