1990年代の知識人女性のリアル会話、「不適切にもほどがある!」リベラル女性版のようである。もちろんこの背景には、当時の女性たちが今よりも激しく「女の幸せ=専業主婦」という社会通念に厳しく晒されていて、だからこそ、芸事に携わり、才覚があれば太夫という頂点に立て、文化人男性らとも関わる機会のある遊女のほうになりたい……と思う女性の歪んだ切実もあるかもしれない。2021年に出版された『遊廓と日本人』でも田中さんは、「辛い経験の果てに命を絶った遊女や病で亡くなった遊女のことを考えると、悲しいです」としながら、「彼女たちは家庭の中に閉じ込められた近代の専業主婦たちに比べれば、自分を伸ばす機会を与えられたのではないか、とも思うのです」と記していらっしゃるので、よほどのことだろう。
「大吉原展」は、その中身ではなく(まだ始まっていないので)、その視線が問われた。その視線とは、わかりやすい昭和のセクハラ的なものというよりは、むしろ知的にコーティングされた平成のリベラル的なものであった。そのぶん質が悪いとも言えるし、そのぶん残念さも深まる。ただ思うのは、1990 年代前半であっても遊郭の女性の平均年齢が20代前半であったことはわかっていたし、そしてあの時代であっても、性産業の加害性を訴える声はあった。つまりは、時代の声ではなく、誰の声に向き合うかが、全ての不適切な時代に問われるのだろう。田中さんだけの話ではなく、今回の主催に東京新聞やテレビ朝日という、いわゆるリベラルな層への信頼が厚いメディアが含まれていることも、私にはとても重く響く。「不適切だとわかってますよ、でもねこれ、文化ですから、芸術ですから」という「正しい圧」は意外に苦しい。
「大吉原展」のPR YouTubeでは「吉原の美が集結」として高橋由一画「美人(花魁)」が紹介されている。
高橋由一の「美人(花魁)」は「性差の日本史」でも展示されていたが、西洋画の技術でリアリズムを追求して描いたこの画に、モデルとなった女性が怒り泣いたことが紹介されていた。遊廓の残酷さが描かれる「性差の日本史」で、本画は女性の意思が尊重されることのないグロテスクな世界の象徴であった。それが展示の意図だと思われるほどに、印象的な画であった。
「吉原の美」とは、誰にとっての、美であったのだろうか。誰にとっての芸術なのか。そのことを、私たちは語り継いでいくべきなのだと思う。