たとえば江戸時代の遊廓では、女性たちは粗末な食事を1日に2食しか与えられず、腐った漬物が出ることもあれば、丸2日食べさせてもらえないようなこともあった。暴力による管理が公に認められていたので、激しい折檻が日常的に行われていた。また、三井などの大商店は特定の店と提携し、そこで奉公人を買春させていた。いわゆる性の管理だ。さらに客が増えれば店の競争が熾烈化し、女性たちは過酷な状況におかれていく。たとえば吉原では人気遊女の名前がランキング形式で綴られた本(今で言う吉原ガイドブック)が売られていた。買春者にとってはエンタメだが、女性からすれば競争意識を煽られる巧妙な罠である。そのように、「性差の日本史」では女性側からみた遊廓の残酷さが、史実として描かれていた。

 私たちは2020年の「性差の日本史」後を生きている。今さらエンタメ的吉原の物語に戻れるわけがないのだ。

「大吉原展」の声明を読みながら、クドカン脚本の話題のドラマ「不適切にもほどがある!」の現実版を観ているような思いになる。この場合、阿部サダヲが演じる主人公の昭和のオジサンは、昭和から平成にかけてリベラルに性愛を語ってきた知識人やメディアだろう。

「大吉原展」が炎上したことで、田中優子さんの本を改めて読んだ。『遊廓と日本人』(2021年)だ。田中さんは「大吉原展」の学術顧問でもあり、1990年代から遊廓や春画などについて果敢に発信されているが、本書では「遊廓は二度とこの世に出現すべきではなく、造ることができない場所であり制度である」「多くの仕事の選択肢があって、遊女もそのひとつだった場合、ほとんどの女性は遊女を仕事として選ばないであろう」とキッパリ断定されていて、時代は変わったんだなぁとしみじみとする。1990年代の田中さんは、のびのびとエロティックに吉原について語っていた印象が強い。たとえば1994年出版の上野千鶴子さんの『性愛論』のなかではハッキリと「江戸時代に生まれたら太夫になりたい」と語っている。

上野:(某人が)「もし江戸に生まれていたとしたら何になりたかったですか」を質問したときに、田中さんはずばりひと言、「もちろん太夫です」とおっしゃった。

田中:はい、もちろん太夫です。いまでもそう思っています。(略)

上野:(略)太夫というのも、そこまでのぼりつめるのはなかなか大変なことでしょう。

田中:つくりあげるんですね、女を。ですから、自分が女であるということに依存していたのでは太夫になれません。完全にゼロからつくりあげるというのが太夫です。

上野:でも、素材が悪ければゼロ以下からの出発ということもありますので、誰でも太夫になれるわけではないと思います。

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