西暦1000年頃、紫式部は時の権力者だった藤原道長の娘・彰子(しょうし)に仕える女房(にょうぼう)として、宮中に出仕します。彼女が仕えた彰子は一条天皇の中宮(皇后と同格、身分の高いキサキ)で、その周りには、和泉式部、赤染衛門など受領階級出身の女性が集まっていました。紫式部はもともと教養豊かな人でしたが、女房として宮中生活を送るうちに知識やセンスをさらに磨き上げたのでしょう。教養のある女房たちの切磋琢磨の結果生まれたのが、『源氏物語』や優れた和歌。小倉百人一首に同時代の女性の和歌が多いのも、そういう特別な時代背景があるのです。
紫式部という人についてまず言えるのは、「ものすごく賢い人」だっただろうということです。光源氏をはじめ個性豊かなキャラクターから、人物観察眼が研ぎ澄まされていることがわかります。近くにいるとすべて見透かされてしまいそうなので、正直なところ、あまり友だちにはなりたくありません(笑)。でも、周囲と比べてあまりにも賢いがゆえに、実は孤独な人だったのかもしれません。孤独の裏返しで筆が走ったのかもしれない……と想像はさらに膨らみます。
時代や性別、身分を超えて1000年以上読み継がれてきた『源氏物語』は、紫式部が夫・宣孝を亡くした悲しみを慰めるべく書き始めたとされています。単純に物語として魅力的なうえ、例えば和歌、仏教、政治など、いろいろな切り口から考察できる深みのある作品です。そしてどの切り口から見ても一流です。
物語は、最初は「帚木(ははきぎ)」「空蝉(うつせみ)」「夕顔」あたりの短いものから書かれ、それが道長の目にとまって娘・彰子の女房へのスカウトにつながりました。紙や墨、筆が貴重な時代、道長の経済的バックアップによって物語が長編化したといわれています。
京都の街には今も平安時代の道や社寺、祭りが存在しているので、物語で光源氏が歩いたルートを再現することも可能です。物語の中でその場所がどう描かれたのか知っていると、登場人物の姿がもっとリアルに見えてくるはずです。
(構成 生活・文化編集部)