宮崎かづゑさんは10歳で国立ハンセン病療養所・長島愛生園にやってきた。病気の影響で手の指や足を切断し視力もほぼないが、電動カートで買い物に行き、夫の孝行さんのために料理を作り、84歳で著作『長い道』を出版した。生命力溢れるかづゑさんを8年間追ったドキュメンタリー「かづゑ的」。熊谷博子監督に本作の見どころを聞いた。
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2015年に信頼する知人から「会ってほしい人がいる」と言われてかづゑさんを知りました。お会いする前に『長い道』を読み、冒頭の4行で心を打たれた。愛生園で初めてお会いして「この人のことを記録しておかないといけない」と思いました。かづゑさんが「あの人ならいいわ」と言ってくださって、撮影が始まりました。
すべてが驚きの連続でした。初日からお宅に呼ばれて皆で酒を飲み、「明日、入浴するからお風呂も撮ってね」と言われてびっくり。最初は介護の方の撮影許可や園内の宿泊手配もかづゑさんがしてくれて「プロデューサーですか?」と思うほど(笑)。「すべてを撮ってほしい」という彼女にひたすらついていった8年間でした。
一緒にいるとかづゑさんは身体の不自由さを感じさせないんです。第九コンサートで私がかづゑさんにサインをするよう勧めるシーンがありますが、あれはかづゑさんに指がないことをすっかり忘れていたからです。向き合ってインタビューをするとものすごいエネルギーでこちらが「少し休憩させて」と思うほど。読書家で博識で、かつて園でいじめられて死のうと思ったときも「本とおかあちゃんがいたから思いとどまった」と話してくれました。「園内でも軽症者から重症者への差別があった」という話は、差別の中の差別という人間が持つ差別の本質をついています。本作はハンセン病が背景にありますが人間にとって普遍的なことを描けたかなと思います。
かづゑさんを見ていると「生き抜くって、こういうことなんだろうな」と思うんです。生きるのに大事なものは家族の愛と、自分で知識を持ち、知恵を身につけること。それを体現しているかづゑさんは「かづゑ的」としか言いようのない力に溢れているんです。
(取材/文・中村千晶)
※AERA 2024年2月26日号