だからこそ、宇髄は他者に「生きろ」と願う。しかし、宇髄自身こそが「生きること」を欲さなくてはならないのではないか。彼は自分を許してやらないといけない。
 

すべての人に「生」の喜びを

「生きろ」と他者に願うこと。「生きたい」と自らの幸せを許してやること。『鬼滅の刃』の登場人物たちは、誰もが望んで良いはずのこの2つの「生の意味」をアンバランスに抱えている。

“遊郭の鬼”は幸せな生を周りに許してもらえなかったかわいそうな人間だった。世の中からしいたげられ、消えそうになる命の灯火を、幼い時から細い体で助け合いながら、守ろうとしてきた。「生きたい」と強く欲した。

 一方で、宇髄天元は「自分の生」をつかみ切ろうとはしない。彼の手や言葉は、周りの者を助けるためだけに使われる。しかし、「生きている奴が勝ちなんだ」と炭治郎たちのために発した宇髄の言葉は、やがて、炭治郎・伊之助・善逸・禰豆子、そして自分の強く美しく愛情深い妻たちの優しさを通じて、自分の元へと返ってくる。

<俺は 善逸も宇髄さんの奥さんたちも皆 生きてると思う そのつもりで行動する 必ず助け出す 伊之助にもそのつもりで行動してほしい そして絶対に死なないで欲しい>(竈門炭治郎/9巻・第75話「それぞれの思い」)

「お前が言ったことは全部な 今俺が言おうとしてたことだぜ!!」(嘴平伊之助/9巻・第75話「それぞれの思い」)

 他者の生を願う。同時に、自分のために「死なないで」と祈ってくれた誰かの言葉を心に留め置く。「遊郭編」の数々の悲惨なエピソードは、悲劇という暗闇の中にあっても、そんな「光」をわれわれに指し示す。

 今後、この小さなそれぞれの願いが、思いが、戦いの命運を分けていく。彼らの願いがどのような結末を導くのか、しっかりと見届けたい。

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