作家でエッセイストの平松洋子さんが評する「今週の一冊」。今回は『わたしと『花椿』 90s in Hanatsubaki』(林央子、DU BOOKS 2530円・税込み)。
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影響を受けた雑誌を三つ挙げよ、と訊かれたら、二誌はそのときどき変わるかもしれないが、一誌は不動だ。A4判、薄い四十数ページ、かつての「花椿」。
資生堂化粧品の愛用者組織「花椿会」の会報誌として発刊され、創刊は一九三七年。私がもっとも熱心に読んでいたのは十代後半から二十代、つまり七〇年代から八〇年代。毎月、資生堂のチェーン店に一部もらいに行くのを習慣にしていた。ファッション、海外トレンド、文芸、美術、音楽、映画、食……キレのある密度濃い文章と写真とレイアウトに、いつだって魅了された。ある調べによると、最盛期の六〇年代後半には発行部数六百八十万部、女性誌の群雄割拠時代を迎えた七〇年代には部数が大幅に減ったが、エッジーな文化情報雑誌として、「花椿」は図抜けた存在であり続けた。
本書は、八八年資生堂に入社、二〇〇一年に退社するまで花椿編集室に在籍して編集に関わった著者による回想録である。語られるのは九〇年代の編集現場。著者が継承する「花椿」の遺伝子が躍動し、こちらの胸もざわつく。
インターネット前夜、「花椿」はなぜ破格のエネルギーを持ち得たのか。どんな人物が、どんな思考によって編んでいたのか。ただし、本書は“なつかしい過去の記憶”に留まらない。著者の現在をフィルターとするエピソードの集積は、ファッションと雑誌編集をめぐる文化論でもある。
登場する人物は国籍を問わず、ノンジャンルだ。エレン・フライス。ヒロミックス。都築響一。マイク・ミルズ。マルタン・マルジェラ。ソフィア・コッポラ。スーザン・チャンチオロ。ホンマタカシ。清恵子……多士済々。あるいは「花椿」編集長の平山景子、四十年にわたってアートディレクターを務めた仲條正義。丁々発止の交わりのなか、自身が得たものがつぶさに記録され、文化の最前線を歩く女性の姿を浮かび上がらせる。編集会議では「モードとカルチャーを一体視していると批判された」と述懐するのだが、それは、ファッションという文化に対する問題意識の萌芽だったのだろう。ファッション、あるいはファッション写真とは何か。アーティストたちとの交流に刺激され、過酷きわまるパリコレ取材に疲弊しながら、著者は批評眼を磨いてゆく。