「インバウンドのホテル需要の増加も相まって、2013年の御堂筋沿いのビルの高さ規制の緩和が効いてきたのが、まさに今という感じがします」
こう話すのは関西大学環境都市工学部の橋寺知子准教授だ。大阪の近代建築に詳しい橋寺さんは「築50年前後の建物の価値はなかなか伝わりにくく、これまでに失った名品は数多く、惜しまれる」とこぼす。戦前期の建築物は木造や煉瓦造など一見して異空間ともいえる外観のため保存対象になりやすい半面、築50年前後の鉄筋コンクリートのビルは文化財的な評価も定まらないのが実情という。
「外観も単に古びて見えるだけで、外装材や金具といった工業製品の『古びの美』に共感が得られるかは微妙です。鉄筋コンクリートのビルの寿命が一概に50年とは言えませんが、築50年前後が建て替えの一つの節目になっているのは否めません」(橋寺さん)
耐震化やOA化に伴い、改修が困難な建築物もある。床下に必要な配線を設置するスペースを確保できないケースなどだ。ただ、と橋寺さんは続ける。
「ほとんどのケースは、所有者が本気で残したいと考えるかどうかでビルの命運は決まると言ってよいでしょう」
所有者の意思を反映
御堂筋で所有者の意思を色濃く反映して維持されてきた60年代のビルがある。竹中工務店の本社が入る「御堂ビルディング」(大阪市中央区)だ。磁器タイルなどで覆われた外観が特徴的な同ビルは昨年、国の登録有形文化財に指定が決まった。
同社によると、1965年に同ビルを新築するにあたり、創立者で当時の相談役である14代竹中藤右衛門の「後世に残し得るようなものを建てたい」という意思に従い、完成当初から長く使い続けることを前提にメンテナンスしてきたという。95年の阪神・淡路大震災以降は建物を使用しながら現行法に適合する耐震補強を実施。さらに南海トラフ地震に備え、非常用発電機や高圧受変電設備を想定される津波浸水の高さ以上の階に設置するなど、災害時に最大72時間稼働できるシステム強化も図った。同社は「今後も一企業の建築物という視点だけでなく、文化財としての価値も考慮し、維持保全を継続していきます」としている。
やむなく解体した後も脚光を浴び続けているビルもある。
1972年に完成し、2022年に解体された中銀カプセルタワービル(東京都中央区)だ。黒川紀章(1934−2007年)が設計した、直方体のブロックを積み上げたような奇抜なデザイン。集合住宅だったため、「一度は住んでみたい」というファンが後を絶たなかった。その一人、同ビル保存・再生プロジェクトの前田達之代表はこう振り返る。