彼女は、怒っていた。
「みんな、『介護施設が足りない』と、そんな話ばっかり! 家で死にたい人だっていっぱいいるのよ。そんなことよりも、兄弟仲良くするとか、親を大切にするという気持ちはないのかしら!!」
彼女も日本全国をとびまわって仕事をしている。
夫の兄弟も近くにいるわけじゃない。
でも、お互いに時間を調整して介護をした。
自分たちでどうしても無理なところは、ディケアやショートスティも使った。そして、姑さんは、安らかに家で亡くなった。
「施設を増やすことが悪いことだと言う気はないよ。でも、入れっぱなしで、お見舞いにも行かない人たちもいっぱいいる。それがいいとは思えない!」
と、彼女は言う。
また、こんな言葉が出てきた。
「介護するということは、『人はこうやって死んで行くんだ』と、学ぶ時間だと思うの」
わたしは、母や彼女のように、まだまだ人間ができていない。
母や彼女のように一人で介護を背負って立つ自信はない。
けれども、介護から逃げてしまう人間にもなりたくない。
「介護していると、自分がいつか行く道が見える」
と、2人とも言う。
もっとも2人とも、
「こうしてわたしは介護してきたけれど、子どもはアテにしていない」
と言う。
わたしは、由理枝さんも母もいつまでも幸せで元気でいてほしい。
夫の両親も含めて、できれば、みんな最後まで元気でいてほしい。
そして、介護で兄弟がもめるようなことはしたくない。
そう、自分に言いきかせている。