桶川ストーカー殺人事件では、警察の捜査に疑念をいだいて独自取材を続けた結果、警察より先に犯人を特定した。すでに“犯人”が逮捕されていた足利事件では、冤罪の可能性を何度も報じ、ついには無期懲役だった受刑者が無罪となった……。
ジャーナリストならば誰もが憧れるような仕事をした清水潔は、これら2件の事件だけでなく、いつも徹底した調査報道で真実に迫ってきた。その信条はどんなものか、「調査報道の裏側」というサブタイトルが添えられた『騙されてたまるか』の序文に、清水はこう書いている。
〈自分の目で見て、耳で聞き、頭で考える〉
何よりも「伝聞」が嫌いな清水は、当局や警察や企業が発表していないものを掘り起こすことから取材をはじめる。ふとした疑問、疑念が湧いたならば、そこをはっきりさせるために調べ、とにかく現場へ足を運んで取材する。そこで「小さな声」にも耳を傾け、自身に新たな疑問が浮かべば、また取材。自分が納得するまでそれをくり返す。
この本には10件の事例が紹介されているのだが、その取材過程を読むだけでも、調査報道がいかに難儀なものか伝わってくる。効率性を考え、メディア側がつい発表報道に傾いてしまうのも無理はないように感じる。
しかし、もしそうなれば、マスコミの価値は失墜する。それどころか、権力側の狙いどおりに情報を操作され、たとえば戦時下の日本がそうだったように、社会全体を窮地へと誘導する機関になりかねない。その危険性を熟知している清水が今、自著のタイトルを『騙されてたまるか』とした理由を推察すれば、私たちがおかれた状況の危うさがうかがえる。
それにしても、と私は思う。清水潔という人は、その名のとおり潔い。自分自身に対して潔さを求めれば、当然、伝聞ではすまされないだろう。潔い人は、自分が抱えた疑問は自分の全身を使って執拗に解いていく。
※週刊朝日 2015年8月28日号