「自分自身の地位や収入」を得られなかったら、昔ながらの「専業主婦になるしかないタイプ」と変わりません。「進んでいる女性」は、そう見られるのをカッコ悪く感じます。ところが1980年代当時、「だれにも負けないキャリア」は「恋愛」するうえで障害でした。

 デートの費用を出して「もらったり」、二人で行動するときにはリードして「もらったり」――だれもが専業主婦になっていた時代、女性が「恋愛」で演じるべき役割は「してもらう」ことでした。よりたくさんの「してもらう」を達成することが、女性として評価に直結していました。こうした価値観は、社会制度が変わったからといってすぐには消えません。1980年代に青春を送った世代の女性も、「恋愛」をするときは「してもらう」立場にいなければならないという考えかたでした。

「だれにも負けないキャリア」があるということは、収入が多く、社会的地位も高いということになります。そういう女性が、スムーズに「してもらう」側にまわるのは困難です。自分よりさらに地位や収入のある男性を見つけるか。地位も収入もこちらより低い相手からあえて「してもらう」か――けれども、バリバリのキャリアのある女性が、自分より「上」の恋人を見つけるのは容易でありません。かといって、自分より「下」の相手に「してもらう」のは、達成感が今ひとつです。自分にはできないことをしてもらわなければ、女性は「してもらえた実感」を得られません。

 時代の先端を行こうとしてキャリアを求めると、「恋愛」(ということは「消費」)をうまくやれなくなる――そういう問題を、1980年代に青春を送った世代の女性は、世紀末になっても抱えていました。私のまわりの「SATCを夢中で観ていた女性」は、そろってこのジレンマにとらわれていた記憶があります。

 1990年代後半の小泉今日子は、そうした女性たちとは一線を画していました。たとえば彼女はこう書いています。

「女の人って、普通、誰に言われたわけでもないのに、働き続けたいという現代的な考えと、『日本の女はかくあるべし』という古典的な考え方の間で揺れるんですよね。(中略)高度成長期に生まれて、ドラマに出てくるのも良妻賢母の肝っ玉母さん。自分の家庭もそうだったし、そういうものだと夢に描いてきたわけですからね」(注1)

 永瀬正敏と結婚したときには仕事をやめるつもりだったとも語っています(注2)。小泉今日子には、専業主婦になることへの拒絶感はありません。

 2009年に書かれたエッセイには、つぎのような言葉が見えます。

<二十代の私は大人になることをひとつずつ許してゆく時期だったような気がする。黒いレースの下着を着けることを許す。紫のアイシャドーを許す。恋をすることを許す。友達とお酒を飲みに行くことを許す。許したものが心の贅肉となってそれが身体にも纏わりつき、黒いレースが似合う人に少しずつ近づいていく。

 三十代になると、二十代で身につけた贅肉が気になりだす。無駄なものばかり身につけて生きてきたのではないか? と、自分が手に入れてきたものを否定したくなる。大人になりたいと思っていた気持ちが通用しなくなり、そろそろ本当に大人にならなくちゃダメだと焦ってしまう。三十年も生きていると失敗も挫折も一通り味わう。それを人のせいに出来るほど子供じゃないから女の心は少しトゲトゲする。今まで好きで着ていた洋服がすべて似合わなくなってしまっているのではないかと不安になり、何を着たらいいのかさえわからなくなったりする。女として迷子になったような感覚がある。そうすると当たり障りのない無難なものを選ぶようになる>(注3)

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