「消費文化」の時代にどこまでも同調していた女優が、春子や千明を演じていたらどうなったでしょうか。役の「挫折」や「転向」が役者自身のそれとかさなって、視聴者はいたたまれない気持ちにさせられた気がします。
かといって、「消費文化」に距離を置いているだけで、春子や千明をたくみに演じられたとも思えません。小泉今日子が命を吹きこんだ春子や千明には、何ともいえないユーモラスな味がありました。並みの「『消費文化』に距離を置いていた女優」には、あの雰囲気は出せなかったのではないでしょうか。小泉今日子は、「自己表現」ではなく、「自分でない誰か」になることをめざして演技します(助川幸逸郎「変幻自在だった「小泉今日子のアイドル時代」dot<ドット> 朝日新聞出版 参照)。自分とギャップのある役を演じて「水を得た魚」になれるタイプです。そういう彼女が演じたから、春子や千明は「愛される人物」になったのです。
「消費文化」が終わった「現在」に、小泉今日子ほど絶妙のスタンスでかかわれる女優は稀にしかいません。2010年代に小泉今日子が「再浮上」した最大の理由はそこにある。それが私の実感です。
先日、小泉今日子が主演する舞台『草枕』を観てきました。さいきん彼女は、映画やドラマでは落ちついた姿を見せることが多くなっています。ところが舞台では、アイドルのころそのままの「お茶目なかわいらしさ」を全開にしていました。ポーズや表情をいつでも即座に決められる「瞬発力」も健在。さすが「CM女王」と何度もうならされました。
現在の小泉今日子は、「ポスト『消費文化」の時代』にぴったり寄りそっている印象があります。けれども、そこに回収されない「引き出し」をたくさん確保していることが、舞台に接すると伝わってきます。小泉今日子が、その独自のバランス感覚を発揮して、これからどちらにむかうのか。彼女のファンならずとも、注視しつづける必要がありそうです。
※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました
注1 「目指すは中年の星! 小泉今日子ロングインタビュー」(「アエラ」2008年9月22日号)
注2 注1におなじ
注3 小泉今日子『戦う女 パンツ編』(引用は http://www.littlemore.co.jp/tatakauonna/ による)
注4 「阿川佐和子のあの人に会いたい 小泉今日子」(「週刊文春 2001年1月25日号」文藝春秋)