大宮エリーさんの対談連載「東大ふたり同窓会」ではこれまで各界で活躍する19人の同窓生をゲストに迎えてきました。特別編の最後は、対談で語られたゲストのみなさんの印象的な言葉を紹介します。
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“東大卒”と色眼鏡で見られるのが嫌で、長年経歴を隠してきたという大宮エリーさん(1999年、薬学部卒)。一方で、2年前に東大・農正門前で刺傷事件が起きるなど、「この社会の行き過ぎた“東大信仰”は何なのだろう」、と気になっていたという。
研究者で実業家の成田悠輔さん(2009年、経済学部卒)は「この国で東大コンプレックスがこれだけ大きいのは、多分、難易度が絶妙だから」と語った。
東大の学生数は1学年3千人ほどで対談時の出生数は年間約80万人。
「百人に1人は入れないけど、千人いたら1人は入れる感じ。ギリギリ届くようで届かないみたいな範囲」
「ノーベル賞が取れなかった、とコンプレックス抱いてる人って少ない。だけど東大に入れなかったコンプレックスを抱いてる人は結構いる。東大コンプレックスをなくす過激な解決策は、東大の定員を30分の1にして超難しくすることかも」(成田さん)
通算39年間、東大で過ごした解剖学者の養老孟司さん(62年、医学部卒)は、「僕は、『ともあろうものが』がつくところには行くなって思っているんです。『東大生ともあろうものが』とかね」と言う。
「世間が勝手に作っているイメージに合わせなければいけない理由はどこにもない」ときっぱり。「物差しそのものを吟味するのが大事な作業」と話した。
対談ではほかにも多くの名言が。
「僕の建築は負ける建築なんです」
とは、建築家の隈研吾さん(77年、工学部建築学科卒)の言葉。東京オリンピック・パラリンピックの開閉会式が行われた国立競技場をはじめ、数々のコンペを勝ち抜き、手掛けてきた隈さんは、「負け」とは真逆の存在と思いきや、「自分だけが目立てばいいっていうのが勝つ建築だとしたら僕のは負ける建築」との説明を聞いて納得。建築家の原点も、生まれ育った実家のボロ屋だそう。