3日続けて女性のもとに通えば結婚が成立し、後日女性方の親が用意した「所顕(ところあらわし)」と呼ばれる披露宴で祝いの膳を食べて、二人は正式な夫婦になれた。お互いの顔をはっきり見るのはこの時が初めて。『源氏物語』でも源氏が末摘花(すえつむはな)の顔を見て醜さに驚くシーンがあるが、結ばれた時に初めてお互いの顔を知ることも珍しくなかった。

 しかし、この時代は一夫多妻制。結婚したあとも男性はあちこちの女性の家を渡り歩き、多くの妻を持ったとしても、社会的に問題はなかった。さらに女性のもとに通わなくなるだけで、簡単に離婚ができた。二人の間に子どもがいれば、女性の家で育てた。

 離縁された女性は、元夫の新しい妻に対して「後妻打ち」という行為に及ぶこともあったという。これは、元妻が後妻の家に武器を持った人間を送りこんで暴れさせる嫌がらせで、後妻も負けじとそれに立ち向かった。平安貴族は優雅でおしとやかなイメージがあるが、嫉妬や妬みは今も昔も変わらないのだ。

(構成 生活・文化編集部 上原千穂 永井優希)