一方の悪い老いは、それらにつながらないもの、とくに豊かな人生や充実した毎日を送ることにつながらない心の持ち方、考え方です。また、自分にとって意味のあるものでも、まわりに与える悪影響が大きかったり、まわりとの関係を悪化させたりすることで結果的に自分にとって不利益になることも、避けるべき悪い老いといえます。

 ちょっと抽象的でわかりにくいと思うので、私自身が最近、自分がよい老い方をしているなと感じた例をいくつか紹介します。

 まずいまの状況からお伝えしますが、歳を取ってから歩く速度が非常に遅くなりました。以前はかなり早歩きで、よく人を追い抜いていましたが、最近は逆に人から追い抜かれてばかりです。そんなふうに体の衰えを強く感じている折り、日課にしている朝の散歩で、たまたま目の前にいた、杖をつきながらゆっくり歩いていた男性を追い抜いたことがありました。久しぶりだったのでうれしくなったのと同時に、次の機会が訪れることがあるのか少し心配になりました。

 最近はこんなふうに、加齢による肉体の衰えを痛感させられることが多々あります。一方で、そのことで自分のものの見方や視点が大きく変わってきたことに気付きましたが、それがよい老い方をしていると感じることです。たとえば朝の散歩にしても、以前はなにか考え事をしながらひたすら歩いているだけでしたが、いまはゆっくり歩きながらまわりをじっくり観察するようになりました。お陰で些細なことに意識が行くようになり、様々な気づきが得られるようになりました。

 散歩中にまわりをじっくり観察するようになったのは、必要に迫られてのことでもあります。長く歩いていると疲れるので、つかまったり、腰をかけたりしながら休みたくなります。そういう場所を無意識のうちに探すようになり、まわりに目が行くようになりました。

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鳥の営みにも目を向けるようになった