だからいま、現場でも、スタッフへの目配りを欠かさない。
「だって、すごく、すごくつらいですよ、現場は。特にいまの若いスタッフさんってたぶん、これまでそんなに厳しい環境に置かれてこなかっただろうから。僕はいつも、お菓子を持っていくんです。でもね、あの子たち、食べられないんですよ。そんなことをしたらどやされる。だから、ちょっと、ね」
菓子を口に入れてあげるしぐさをして、いたずらっぽく笑う。
「チョコ1個でも喜んでくれるんでね。コミュニケーションにもなりますよ」
「架け橋に」と言われて
そうしたコミュニケーションは、12年間を過ごした韓国で培った部分もあるのかもしれない。
「韓国では、あまりキャストとスタッフさんの距離がなかった。食事もキャスト優先ではなくて、一緒に取るんですよ。いろいろ言っていられる環境じゃなかったんですよね。寒いし、きついし、もう、生きるためには、一丸となってやるしかない、みたいな(笑)。現場にいる、ほかのキャストのマネージャーさんやヘアメイクさんとかともお互いに助け合っていたんですよ」
そんな韓国の現場も、日本の現場も知る大谷さん。韓国での代表作となった映画「神弓-KAMIYUMI-」のキム・ハンミン監督からはよく、「日韓の架け橋となる俳優になってほしい」と言われていたという。それはいま、仕事の目標として、視野に入っているのだろうか。
「すごく素敵な言葉ですけど、自分から架け橋になろうとは思っていませんね。自然と、そういうきっかけがあれば、とは思いますけど、その結果を求めて何かをするっていう意識は僕にはまったくなくて。
でも、いま韓国の情報がどんどん入ってくるようになって、ドラマを見ていると、知っている人たちが頑張っていて、バンバン出てくる。向こうの現場を思い出すと懐かしくもあり……そういう意味では、このまま終わらせたくない。またどこかで韓国の作品をやりたいな、っていう気持ちはあります。やっぱり、僕にとっては、単にいい作品と関わる、という以上の意味があるので。でも、出るのなら、ちゃんとした役で出たいですね」
そう口にするのは、日本への帰国を決めた理由が、「韓国ではどうしても言葉の問題があって、メインの重要な役とか、セリフが多い役をもらうことが難しかったから」だ。「だから、ただ韓国の作品に出たい、というわけではないってことですね。やるのなら、自分のなかで納得したものをやりたいと思います」
(構成/編集部・伏見美雪)
※AERA 2024年1月29日号より抜粋