事務所に近い側から入ると、鮮魚類が置いてあり、奥へ進むと野菜と果物の箱があちこちに積んである。ここでかつて、100以上の青果商が参加して、競りがあった。いまは買い手が個別に値段を交渉する相対取引になっている。でも、買い値を競り上げていくときにみなぎった活気は、忘れていない。就活期に東証の立会場の喧騒ぶりをみて「ああ、同じだな」と思ったことも、覚えている。ただ、ここでは「しじょう」でなく、「いちば」と呼んでいた。
金融危機のときの体験は、バブル期の甘い融資が不良債権となって経営が行き詰まった日本長期信用銀行を、一時国有化する直前だ。当時の株式売買は成立した3営業日後に代金が払われ、株券が渡される。「決済」と呼ぶ行為だ。それをきちんとさせる決済管理課長だった。長銀の場合、その決済が終わる前に国有化が決まると、買い注文が成立した投資家が株式の価値がゼロになるとみて、代金を払わない事態が懸念された。
当局との秘密折衝 日曜日の深夜に危機回避へ合意
当時の東証には2千以上の上場企業があり、決済は売買ごとでは膨大な作業になるので、証券会社のなかで同じ銘柄の売り買いを差し引いたうえ、すべての銘柄を合算した差額で決済した。だから、1銘柄でも決済が行われないと、すべてがマヒし債務不履行(デフォルト)を招く。そんなことになれば、日本の市場が世界の信用を失う。考えると、胃がひどく痛んだ。
市場が休みの週末、監督当局の大蔵省と極秘に折衝した。東証の首脳陣も大蔵省の担当課長も、当初はそこまでの危機感はない。でも、理事長に「放っておくと東証発のデフォルトになるので、絶対に阻止します」と言い切り、大蔵省へ直談判にいく。日曜日の深夜、国有化の決定を遅らせて、その間は長銀株の売買を止めて決済を完了させる、と決まる。『源流』から続く「取引の公正さ」を貫く流れが、勢いを増したときだった。
そんな思い出話が終わると、北海道産のダンシャクイモから熊本産のミカンまで、各地の野菜や果物を置いた三つの売り場を、納得し直した表情で巡る。着いたときはまだ暗かった周囲が、明るくなっていた。