父は中学校時代の成績が優秀で、高校進学で担任教諭に名古屋市にある有名校を受験するように勧められた。だが、祖父に「八百屋の息子は八百屋を継ぐのに、学問なんかあると邪魔になる」と言われ、断念して地元の窯業高校へ進む。さらにそこも中退し、家業を継いだ。
父は自分に「跡を継げ」と、一度も言わない。でも、東証で47歳のときに執行役員になるまで、何度も「故郷へ帰って青果商を継ごうかな」と思う。結局は継がなかったが、父が心がけていた思いは受け継いだ。「取引の公正さ」の維持だ。
父は「お前はいい学校へ進めよ」と思っていたようで、小学校2年生の終わりからそろばん塾へ通わされた。週5日、火曜日と日曜日以外、6年生までいった。塾はいまも残り、『源流Again』で訪ねると、週3回になっている。当時の先生の次女で、3学年下だった毛利克代さんが指導していた。
「何事も1番に」と週5日鍛えられ付いた挑戦の精神
ドアを開けると、懐かしい顔が待っていた。「かっちゃん」──思わず、半世紀前の彼女の呼び名が出た。目が、ちょっと潤んでいる。ここで暗算の力がつき、東証から米ボストン大の経営大学院へ留学する際、数学のテストが満点で、英語の点数不足を補ってくれた。
先生は「何ごとも1番でなければダメだ」と言い、教え子を様々なそろばん大会へ出して、優勝を目指させた。期待には応えられなかったが、鍛えられて挑戦する精神が育つ。いま挑戦は、平和不動産や東証がある東京都中央区日本橋兜町の街づくりへ向けられている。
平和不動産は東証や大阪、名古屋、福岡の証券取引所の建物を持ち、「取引所の大家さん」とも呼ばれるが、長くその座に安住していた面もある。その間に、東証の株式売買はすべてコンピュータ化され、立会場が閉鎖された99年4月末以降、働いていた2千人以上が姿を消し、兜町は賑わいを失った。
東証の専務から平和不動産への転身を誘ってくれた前任の社長は、兜町を通る東京メトロ東西線の茅場町駅に地下で直結した複合ビル「KABUTO ONE」の建設を決め、賑わい復活へと動いた。残念ながら病気で社長を退任し、2019年12月にその後任となる。当然、再開発の進路も引き継いだ。
地上15階建ての「KABUTO ONE」は、2021年8月に完成。3階まで吹き抜けにして、金融情報などを発信する電子掲示板を下げた。6階以上のオフィス部分は近隣の日本橋や大手町よりも割安にして、資産運用会社などを誘致する。ほかにも既存のビルを改装し、スタートアップ企業向けに小規模オフィスを増やしている。
渋澤栄一氏が日本初の銀行を設立し、株式取引所設立の発起人に名を連ねた兜町。その起業家精神は、ぜひ継ぎ残したい。父の言動から生まれた『源流』の流れは、兜町が中継地のように、さらに勢いを増している。(ジャーナリスト・街風隆雄)
※AERA 2024年1月29日号