冷静になってみれば、なんか昔のフェミニズムって乱暴でしたよね……とため息一つ……というテキストである。まさにこれが「被害者フォビア」なのだとも思う。
「レイプごときで苦しむなんて加害者の思うつぼよ。性加害者を嘲笑しなさい」と言われたところで、被害者には地獄が深まるばかりだ。たぶん、このテキストを知的に読み込んで性暴力問題の言説を解体しましょう〜!というフェミニストの試み自体が、この国で、性暴力問題から性被害当事者の声が置き去りにされてきた現実を表しているのだろう。実際この社会で#MeTooの声をあげ、性暴力問題の正面に立ち、性犯罪刑法を改正するまで社会を変えたのは、権威あるフェミニストたちではなく、市井の女性たち、性被害当事者の声だったことからも明らかだろう。
性被害者が「心が痛い」と叫び、「性」暴力だからこそつらいのだと怒り、何年後になっても声をあげることを諦めないと思える社会を、私は良い社会だと思う。なぜならば、被害者が「私は被害者である」と声をあげるのは、「加害者」の存在を浮かび上がらせるためだからだ。被害者を嫌悪し、恥と感じ、蔑むような、そんな苦痛から、女たちが自由になればよいのにと思う。私たちは手をつなげるのだと、信じられればよいのに。