
元日の能登半島地震の発生を受けて、新年の一般参賀は中止になったものの、さまざまな行事が執り行われ、動き始めた皇室。皇太子妃時代から変化してきた、雅子さまの装いを振り返る(この記事は「AERA dot.」で2023年2月12日に掲載した記事を再編集したものです。年齢は肩書は当時のまま)。
【写真】カラフル皇太子妃時代の雅子さま!「赤い砂漠」に映えるライトグリーンジャケット
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昨年12月9日の皇后陛下・雅子さまのお誕生日から新年一般参賀、歌会始の儀など1月の雅子さまは「白系」をお召しになることが多かった。皇太子妃時代には様々なデザインでカラフルな装いだった印象もある雅子さまだが、この変化について歴史文化学研究者の青木淳子氏に話を聞いた。
1994年11月、皇太子さま(当時)と皇太子妃・雅子さまはサウジアラビア・オマーン・カタール・バーレーンの中東四カ国をご成婚初めてご訪問された。そのときに訪れた「赤い砂漠」での雅子さまのライトグリーンのロングジャケットを記憶している人も多いのではないだろうか。

そのときから年月を経て、白系への移行を歴史文化学研究者で皇室のファッションにも詳しい青木淳子氏はこう読み解く。
「昨年12月9日59歳のお誕生日を迎えられた雅子さまのご近影は、オフホワイトのスーツ姿でした。お誕生日に寄せられたお言葉でも『人生のちょうど半分ほどを皇室で過ごしてきた』とありましたが、そういった意味でも節目のお誕生日でもあったと思います。白の着用には様々な意味があると思いますが、この時は、お気持ちを新たに、という意味で選ばれたのではないでしょうか」(青木氏)
1月に入ると、元日の新年天皇ご一家がお揃いになった写真では白のスーツ、「新年祝賀の儀」は白のロングドレス、3年ぶりに行われた1月2日の「新年一般参賀」はオフホワイトのドレス、20日に行われた皇宮警察本部の「年頭視閲式」はコート、パンツ、帽子がともにベージュに近い白系だった。
「新年の行事に関しては、新年をことほぐお気持ちからの選択であったでしょう。新年一般参賀の際には、初めて参列された愛子さまのドレスの淡いブルーの色とのバランスを考えての事かもしれません。お正月を迎えたとき、白や淡いペールカラーなど明るい色を着用し、新年をことほぐおめでたい気持ちを表現します。それら明るい色の衣服を『梅春もの』といいます」(青木氏)