その3カ月後、日帝劇場でコンサートが再開され、茨田もスズ子も出演した。楽屋でスズ子に「よくぞご無事で」と言われた茨田は、自分の話をした。
「慰問先でね、特攻隊員さんに歌ったの」と。年端もいかない子たちに「晴れ晴れといけます」などと言われた、その声が耳から離れない、私の歌に背中を押されて死んでいったかもしれないと続け、こう言った。
「悔しかったわ。だって歌は人を生かすために歌うものでしょ。戦争なんて、くそくらえよ」
スズ子はこう返した。「ほんなら、これからはワテらの歌で生かせな。今がどん底やったら、あとはよーなるだけですもんね。歌えば歌うだけ、みんな元気になるはずや」。
鏡を見ていた茨田が振り返り、スズ子を見つめた。スズ子は茨田とは違う強さがある。ここから茨田の「別れのブルース」になった。初のフルコーラスだった。泣けた。
このシーンが放映された翌日の2024年1月12日、「あさイチ」のゲストとして菊池さんが出演した。待ってました!とばかり見たら、茨田のモデルである淡谷のり子さんの話題がたくさん出た。NHKだけど、淡谷さんが出演した「徹子の部屋」(テレビ朝日)が流れた。
淡谷さんは特攻隊員の前で歌った体験を語り、彼らの平均年齢が16歳だと繰り返していた。まだ若い黒柳徹子さんが、泣いていた。