「自分の体を痛めつける行為、でも、それだけじゃないですよね。記憶がないまま他人を傷つけたり、私みたいに犯罪を繰り返して刑務所に入ることだってある。やってしまったことは消せないよって。ODによって、死より苦しいかもしれない『生き地獄』を味わうかもよって。それこそがODの怖さなんだと知って欲しい」と話しつつ、こう本音を漏らす。
「それでも、今、ODをしている子たちにやめろって言っても、絶対に聞かないと思います」
若者たちも、おそらくはそれぞれが何らかの事情や苦しみを抱え、生きる手段としてODに走っている。彼らを突き放したら、誰にも相談もできなくなるし、隠れてODを続けるだけだろう。
「クソみたいな人生」を自認する湯浅さんも、幼少期に母からの虐待を受けた当事者だ。暴力を振るわれたり、柱に長時間縛り付けられ、おしっこを漏らしたりが日常だった。それでも、夜の店で稼いだ給料の半分はその母に渡していた。母はギャンブル依存でもあり、そのお金はすべてギャンブルに消えることを知っていてである。
強く否定するのは支援にならない
自らの内面に生じた「ゆがみ」は、湯浅さん自身も認めている。
湯浅さんは、
「私はODをしてしまっているその子を、まずは認めてあげる必要があると思います。『やめろ』などと強く否定したら隠れてしまうだけで、支援にならない。誰にも言えなくなることが一番怖いことなんです。次から減らせたらいいね、生きててよかったね、と、その子の居場所をちゃんと作りながら、見守っていくことが大切ではないかと思います」
として、こう続ける。
「オーバードーズという名称も、一時の快感を味わえるような軽いイメージを与える気がしていて、良くないですよね。立派な依存症で、自分ではやめられなくなる危険な行為なんだということを、早いうちにしっかり教える必要があると思います」
かつてボロボロになった自分を振り返りつつ、そんな思いを口にした。
(AERA dot.編集部・國府田英之)