三上 影響は常に付きまといます。「最高のアイデアを思いついた」と思っても、既に寺山さんがやっている。だから、苦しいです。寺山さんが単なる詩人とかだったらまだしも、ビジュアルから何から何まで手掛けているので、全部に呪いがかかってるんです。しかも、すごくコアなのに狭くないので、全部からめとられてしまう。いつかはその呪いから脱すると思っているんですが、いまだに渦中ですね。
見てくれる人がいなければ
――自らの理想、「俳優としてのゴール」を、どう思い描いているのか。
三上 うーん。役者はね、詩人や画家と違ってひとりで完結できない仕事です。詩人や画家だったら、「誰が何と言おうと私は詩を書きます」「私は絵を描きます」と言えますが、役者は求めてくれる人がいなかったら成立しない。「俺には役者しかないんだ」と言っても、見てくれる人が誰もいなければ、演じる場を失います。自然とそのときは来るだろうから、決めることでもないと思ってます。そのときが来たら、受け入れるつもりです。
一方で、役者は好きな人しかできない仕事だと思います。ミュージシャンであれば、1曲大ヒットが生まれれば生活は激変するでしょうが、役者はそうではない。続けるしかない。
僕が惹かれるのは、毒のある、グラマラスな作品。テネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」のヴィヴィアン・リーや「ブルージャスミン」のケイト・ブランシェットは僕の中で近しい役だと思っていますが、ああいう役が大好きです。
「ヘドウィグ」をはじめ、自分から提案した作品はいくつかあります。舞台「タンゴ・冬の終わりに」(2015年)は、20代のときに平幹二朗さん主演の舞台を観て「いつかやりたいな」と思っていたら、気づけば自分が主人公の清村盛の年齢になっていたので提案しました。
こういう作品を面白がってくれる人は、数は少ないかもしれませんが、必ずいます。だから、やり続けるし、勉強を続けます。
ひとり、「ひっそり山暮らし」
――三上博史にとって、「人生最良の日」とはどんな日なのだろうか。
三上 ひっそりと山に暮らしていますよ。先日も近所のおじいちゃんが、「あそこ、三上博史が住んでるから!」って見知らぬ人に言っていて、「やめな! それが広がっちゃったら、俺ここに住めなくなっちゃうんだから」と抗議したり(笑)。いくら気を配っていても、やっぱり人の口に戸は立てられないですね。
人生最良の日ですか…例えば、鰻を食べたい時に食べることができたり、自分で手応えがあった芝居を、誰かに喜んでもらえたりした日ですね。そういう小さなやりとりを積み重ねていきたいんです。(構成/ライター・小松香里)