デビュー時は高校生。劇場で裸で踊る女性、下の毛を剃る男性を見た衝撃を語った(撮影/大野洋介)

「30歳までに多くの人に知られる俳優になる」という目標は、母の遺言がきっかけだった。数々のドラマに出演した人気俳優三上博史さんは、どのようにして現在の境地にたどり着いたのか。

【写真】高校1年生時に劇場で裸で踊る男性、下の毛を剃る男性を目撃、衝撃を受けたと語った三上博史さん

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「カメラに映る資格がない」

――端正なマスクの持ち主だ。そのせいか、美意識も高かった。俳優として苦しんだのは30代後半からだった。

三上 30代後半から、美醜の面で苦しくなりました。「こんな姿、人様に晒すもんじゃないだろう」って。「カメラに映る資格がない」とすら思い、40歳で「映像の仕事は辞めよう」と考え始めました。すごく苦しかったですね。

 そこで、寺山修司の「青ひげ公の城」(2003年)という舞台の話が来た。舞台は寺山さんに「出るな」と言われていたので禁じていたんですが、「最後だからやろう」と思って出てみたんです。そこで、「美醜が関係ない役者の道がある」と感じました。

 その後、アメリカを放浪していたときに、「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」のオリジナルキャストではない舞台を見る機会があり、楽曲に惹かれました。それで帰国後に提案して、ヘドウィグ役をやることになった。そこからはもう、行き当たりばったりです(笑)。

 運も自分で導くものですし、そのアプローチさえ怠っていなければなるようになるとは思います。作品にはキャスティングする側の意図や思惑があって、「その役者の素質を生かそう」という意図と、「これまでにない役で裏切ろう」という意図があります。僕の場合、もはや生物なら何でも演じるようなところに来ているので、石を演じてみたいぐらい。裏切れるものはなくなっちゃったのかもしれない(笑)。

オファーは減りました

 僕としては、きわきわの境遇だったり、極端な設定のほうが演じ甲斐がありますが、普通の役こそ裏切れるのかもしれないですね。

 ただ、制作側は採算とか数字とかを考えなければいけないから、オファーは減りましたよ(笑)。数字を持っている人が出ていて、かつ面白い作品がいいもんね。

 オファーは減りましたが、それが僕自体のせいなのか、年齢のせいなのか、世の中のせいなのかはわかりません。偉そうに聞こえてしまうかもしれませんが、僕の中には「羨ましいかどうか」という指針があって、そう思う日本の作品はほとんどない。もう目まぐるしく感じて、夢も希望もないというか……、あー、もうすごいこと言ってんな。日本の作品はほとんど見てないので、気にしていません。

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裸で踊る女性、下の毛を剃る男性