それよりも、グレート小鹿や大熊元司さんらの相撲から日本プロレスに行って、力道山関や芳の里さんと一緒に「いいわ、いいわ」で金を使う人とウマが合ったし、向こうも相撲取りの金銭感覚の俺が気に入ったようで、一緒にいるようになった。
ジャイアント馬場さんが連れてきた大仁田厚や渕正信、ジャンボとはそういう面で相いれなくて、色分けというか派閥みたいなのができたわけだ。
印象的なジャンボ鶴田の言葉
他にジャンボの言葉で印象的だったのはサイン会での一言だ。当時はジャンボ、馬場さん、俺の三人でサイン会をよくやっていて、一番行列ができるのがジャンボで次に馬場さん、俺が一番少ないという状況で、ジャンボが一番忙しい。
ふとジャンボを見ると、行列ができているのにずいぶんゆっくりとサインを書いているから「もっと早く書かないと終わらないだろう」と言ったら、ジャンボは「なにを言っているんだ。サイン会は時間が決まっているんだから、せっせと書かなくても時間が来たら『はい、終わり』でいいんだよ」と言われた。これもジャンボの生き様を象徴していると思ったよ。
ジャンボの助言は今になってみると身に染みてわかるよ(笑)。SWSのときのギャラをちゃんと貯めて、運用しておけば今頃ベントレーに乗っていただろうな。あの頃は俺も女房も持ったことがないような金を手にして、女房が「こんな金、使いきれない!」って言うのを聞いて、俺はニタニタして。今の俺だったら、しっかり金を残しているよ。
ジャンボやスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディたちは「プロレスはどうなるかわからないから、しっかり残さなきゃ」って考える世代。
その上の馬場さんはアメリカで稼いだ成功体験があるから「ダメになったらまたアメリカで稼げばいい」っていう考えで、アントニオ猪木さんと同じ山師的な面はあったね。「金はいつでもあるもんだ」っていう感じだったよ。今その雰囲気を残しているのは小鹿とザ・グレート・カブキさんくらいかな。俺はその二人と話しているとやっぱり楽だね(笑)。
俺が女房に言われた言葉で一番思い出すのは、40歳頃から楽ちゃん(三遊亭円楽)たちと銀座を飲み歩いていた時期に言われた「お父ちゃんの青春だもんね」だ。