
そんなことを言っていた親方だけど、部屋に力士が少なくなって20人くらいになったときに、飯を食っていると「お前らはな、鶏と一緒でたくさんいないと赤字なんだよ!」と言われたことがある。
相撲部屋の人数が多いと相撲協会から食糧費がもらえるんだけど、人数が少ないと部屋の持ち出しになるからね。「親方もシビアだな~」なんて思ったよ(笑)。
その親方が亡くなって、跡目争いの“押尾川騒動”が起こる。押尾川親方を襲名していた大麒麟さんが、亡き親方の女将さんが金剛に跡目を継がせたことを不満に思って、小結の青葉城や俺、慕っていた若い衆十数人を連れて、クーデターを起こした。
早朝に起こされて、朝稽古もせずに谷中の寺に連れていかれて、大麒麟さんが「俺はクーデターを起こす。天龍、俺についてきてくれるか?」と聞いてきた。
そこで大麒麟さんの一番弟子の俺が「はい」というと、今の湊川で当時は三段目くらいの大徹をはじめ、俺がかわいがっている若い衆も訳もわからず「はい」と言わざるを得なくなるだろう。だから俺は「いやいや、俺の返答は最後にしてください。みんなの同意を得てからにしてくださいよ」と言ったんだ。俺の中でも名答だったと今でも思っている。
即答しなかった俺も賢い!?
結果的には若い衆もみんな「はい」と答えて、俺の答えも「はい」だったんだけど、真っ先に俺に聞いた大麒麟さんも賢かったし、即答しなかった俺もなかなか賢かったと思うよ(笑)。
その後は相撲協会が間に入って大麒麟さんの独立が認められて、謀反を起こした半数が押尾川部屋に移籍となり、俺を含む半数が二所ノ関部屋に戻ることになった。俺たちも「豊臣家のように淀君が出てくるとお家が潰れる」とよく言っていたもんだがね。
どうだ、俺も日本の歴史をよく知っているだろう。これも佐賀ノ花親方の影響だ。親方は時代小説や歴史書が好きでよく読んでいて、名古屋場所の定宿にしていた中村区にいるとき「ここは何で有名か知っているか?」と聞かれたことがあって、俺やほかの連中が「知りません」と答えると、「豊臣秀吉の出生地だ! 自分たちがいつも泊まっているところの歴史くらい知っておけ!」と怒られたことがあったからね。