「それまでの建物が取り壊され、ズドンと風景が見えた。そこは1975年の事件現場だった。私は固まった。どうしたの? とスタッフに聞かれ、事件のことを説明している自分がいた。(私は普通に『あの事』を話せている)と思った瞬間からこの映画が始まった」
自分はこれまでどう生きてきたか。そんな作家性が重要視される自主映画という形を選び、三島と目される女性を前田敦子が演じている。
三島といえば、1シーン1カットの長回しと言われるが、それは「人間の体が反応する、その流れを撮りたいから」だという。
「その役を感じて反応してもらう。肉体から漏れ出るもの。それが表現だと思う」
そういえば、本作品に出てくる人物たちの動きも水のように流れ、静かにダンスを踊っているようにも見えた。それは説明を省き、ギリギリまで削ぎ落として書いた脚本によるものかもしれない。インタビュー最後で、冒頭でも書いた美しい水の描写に触れると、
「これまで黄泉(よみ)の世界の入り口の意味で『水』を撮ってきた。死と隣り合わせとでもいうのかな。でも、今回は『どこかに繋がるものとしての水』として撮った」
と、三島が答えた。そして、
「水は希望と他者を繋げている。人はそれぞれ孤島だけれどどこかで繋がるはず。私の中で、『水』に対する考えが変わってきたのかもしれない」
と微笑んだ。
(文・延江 浩)
※AERAオンライン限定記事