杉本昌隆の弟子の藤井聡太は、いまや国民的スーパースター。外を歩けば人目をひく。「彼が中学生のとき『青いリュックサックを背負ってるから目立つんです、なければわかりません』みたいなことを言っていたんです。『いや、なくてもわかるけどな』とか思いながら聞いていました(笑)」(撮影/加藤夏子)
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 AERAの将棋連載「棋承転結」では、当代を代表する人気棋士らが月替わりで登場します。毎回一つのテーマについて語ってもらい、棋士たちの発想の秘密や思考法のヒントを探ります。33人目は、杉本昌隆八段です。AERA 2023年12月25日号に掲載したインタビューのテーマは「忘れられない失敗」。

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 2005年度。杉本はB級2組最終戦、結果的に勝っていれば昇級という一番に敗れた。

「対局中に長女が生まれていたんです。それを知らないまま指していたんですが、せっかくの記念すべき日に昇級を逃して終わらせてしまったのは非常に悔しかったですね。私はリック・アストリー(イギリス出身のミュージシャン)のファンで、翌日にライブが東京であって行く予定だったんですがキャンセルし、すぐ名古屋に帰りました。その三つが重なったことが記憶に残っています。ライブはあれからなかなか行く機会はないですね。順位戦は翌年、B級1組に昇級できました」

 ついにA級をうかがう位置にまで上がってきた杉本。しかしアクシデントが起こる。

「滑膜炎という、膝に水がたまる病気になってしまったんです。将棋盤の前で座れなくなり、相手の方に謝り、足を半分投げ出して対局していました。このまま治らなかったら『もう引退しなきゃいけないんじゃないか』という気持ちになりました。順位戦は不戦敗も覚悟しましたが、対局のすぐ翌日に入院し、約3週間後の対局の直前に退院というスケジュールでギリギリ乗り切って。そこで2勝できて、なんとか残留できました」

 翌年度、杉本は復調。渡辺明竜王(現九段)を相手に、角不成という絶妙手で、自玉の詰みをしのいで勝った。

「実は角成でも詰まなかったんですけど、不成の方が明らかにきれいですので。渡辺さんはきれいに形を作ってそこまで指してくれたんですね。病気になった年に残留でき、翌年に昇級争いできたことは、神様のご褒美だったんじゃないかなという気もします。(惜しくも次点で)A級に昇級できなかったのは悔しいけど、それはもうしょうがない」

 時を経て2018年度。ベテランと呼ばれる年齢になった杉本はC級1組に所属していた。そこに駆け上がってきたのが弟子の藤井聡太だった。

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