横浜F・マリノスの宮市亮選手(撮影/工藤隆太郎)
横浜F・マリノスの宮市亮選手(撮影/工藤隆太郎)

 アーセナルというチームを、選手たちを、リスペクトしていた。大事なことだが、その思いが強すぎてはいけなかった。

 必要だったのは、ポジションを勝ち取っていくんだという強い気持ち、気構え。

 きっとサニャはわかっていたんだと思う。僕が遠慮してプレーしていることを。だからこその「Be Bad!」だった。

 このメンタリティーでは、もうレギュラーポジションをつかむことは無理だったと思う。

 心技体でいうところの心が整っていなかった。アーセナルの選手たちをリスペクトしすぎて、自分を追い込んで、苦しんでいた。

 次第に存在感をなくし、10月末を最後に公式戦の出番がなくなった。

 すると、練習に行くのも嫌になってくる……。

 その頃、もうひとつ、心を見透かされるような鋭い指摘をされた。

 11月になるとトップチームではなく、リザーブリーグと呼ばれるカテゴリーで試合に出ることが多くなっていた。控え選手や若い選手が実戦経験を積むためのリーグだ。

 そんなある日、日本から岡田武史さんがアーセナルを訪ねていらしたことがあった。二度にわたってサッカー日本代表監督を務められた、あの岡田監督だ。

 もともと、ベンゲルとは知り合いらしく、アーセナルまでベンゲルに会いに来られたようだったが、たまたま僕のリザーブリーグの試合とタイミングが重なっていた。

 そのことをチーム関係者が伝えたようで、わざわざロンドンから1時間以上かかるレディングという街まで足を伸ばして、見に来てくださった。試合後、初対面であいさつすると、こうおっしゃった。

「宮市、おまえ、楽しんでないよな!? もっとここ、アーセナルにいられる状況を楽しめよ」

 初対面のひと言目がズバリだった。見透かされていた。すべてお見通しなのかと、とにかくビックリした。

 ド直球で、まさに核心を突かれた感じがした。本当にその通りだった。当時は、返す言葉が見つからなかったし、当然、相談もできなかった。

 岡田監督がそう感じられたのなら、おそらくベンゲルも同じように僕を見ていたはずだ。自信がなさげで、頼りない僕を。

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