宮市亮著『それでも前を向く』(朝日新聞出版)

 僕と同じポジション、FWには、エジルとともにドイツ代表でも活躍し、その後、Jリーグのヴィッセル神戸でもプレーしたポドルスキや、フランス代表で2018年のワールドカップ・ロシア大会を制し世界一にもなったオリビエ・ジルーがいた。

 ポドルスキもジルーも100メートルを10秒台で走ることはできない。僕とはまったくタイプが違う。でも、こんな選手との競争を勝ち抜いて、本当にFWで試合に出られるのだろうかと自分を疑うようになった。

 そこにエジルが加わり、その技術をうらやましいと思うようになった。

「もし、エジルみたいにうまかったら。あんなパスが出せたら、司令塔でも試合に出られる」

 もう、完全にないものねだりだった。

 ベンゲルからは、チャンスを与えてもらっていた。

 アーセナルでのプレミアリーグへの初出場を果たしたのは、2013年9月22日のストーク・シティFC戦。当初はベンチ外だったが、体調不良の選手が出て、急きょベンチ入りすることになった。そして、後半28分にニャブリとの交代でピッチに立った。

 ほかにも、10月29日のチェルシーとの大事な試合では、先発起用してもらった。この試合は、大きなチャンスだった。しかし僕は、与えられたチャンスをつかみきれなかった。

世界屈指のサイドバック、バカリ・サニャからもらった助言

 この頃の僕は、完全に自分の武器を見失っていた。

 それを痛感させられる出来事があった。

 当時、練習では控えチームの左ウイングをすることが多かった。

 試合形式の練習になると、レギュラー組の相手チームの右サイドバックとして、僕の目の前にいるのはいつもフランス代表のバカリ・サニャ。当時のプレミアリーグで最高の右サイドバックともいわれた、世界でも指折りの選手だ。

 サニャは特徴的な髪形を揺らしながら、身をもって、僕に世界最高峰の戦いとは何かを教えてくれた。対戦すると、封じられることもあったが、スピードで何度も抜き去ることができ、手ごたえも感じていた。

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