12月12日、朝日新聞の朝刊一面に「安倍派裏金5億円か 所属議員 大半に還流 派閥側の立件、不可避」との見出しが踊った。5億円もの裏金づくりを行っていたとされる「安倍派」に対して国民の反発は一層強くなり、安倍派出身の閣僚は全員が辞任する事態になった。なぜ安倍派だけが突出して金額が大きく、ここまで“裏金づくり”に熱心だったのか。自民党本部元職員で政治アナリストの伊藤惇夫氏らの指摘を基に分析した。
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まず、簡単に派閥の歴史を振り返っておこう。かつて「三角大福」という言葉があった。佐藤栄作の後継争いを、三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫が争ったことを指す。
安倍派の正式名称は「清和政策研究会(清和会)」。岸信介による岸派を源流に持ち、1970年から1986年までは福田赳夫をトップとする福田派だった。
田中角栄は「七日会」(1972〜80年)と「木曜クラブ」(1980〜90年)を創設。田中派と呼ばれたが、彼が派閥の会長を務めたことはない。
現在の岸田派の正式名称は「宏池会」。池田勇人が創設し、1971年から1980年までは大平正芳が会長を務め、大平派と呼ばれた。
三木派の正式名称は「番町政策研究所」。1956年、三木武夫と松村謙三が創設。2015年には山東昭子が会長に就任して山東派となったが、2017年に麻生派と“合併”した。
「この『三角大福』のうち、大平派は財界主流との結びつきが強く、いわゆる名門企業が政治資金を援助しました。田中派は族議員が多く、関係業界と密接な関係をつくることで政治資金を確保しました。これを癒着と批判する声も多く、“田中派”は金権政治と結びつけられた時代もありました。クリーンであることが自慢だったのが三木派で、福田派も『田中派や大平派に比べれば、それほど金権まみれではない』という評価でした」(ベテラン週刊誌記者)