人を笑顔にする楽しさ、を知った。『源流』を生む地下水が溜まり始めたときだった。

 筑紫丘高校は校則があっても自由で、驚いた。男子に腰まで長髪を伸ばす生徒がいたし、パーマをかけていた数も多い。下駄で登校してくる生徒もいた。授業中のはずなのに、食堂で何かを食べている。やんちゃを自認する身にも、想像以上の自由さだ。ただ、学校が貫いていることにも気づく。「ほかの生徒の勉強の邪魔はするな」だ。そのつもりで、大型二輪の免許を取ってオートバイを乗り回し、「楽をして、かつ楽しい」という青春時代を送る。

 一人っ子だから、就職先選びで母に「こっちにおってくれ」と言われた。そこで地元の銀行へいったが、ダメだった。都市ガスの西部ガスは、自宅があった地域のガスはプロパンだったから、知らない。でも、「とにかく受けてみろ」と言う人がいて訪ねると、通った。

体重が2キロ落ちたプログラミング 同僚に任せてしのぐ

 81年4月に入社し、情報システム室へ配属された。経理システムのプログラミングから始めたが、勝手が分からず、1週間で体重が2キロ落ちる。そこで、入社研修でプログラムを組んだときに楽々とこなしていた高専卒の同僚の力を借りることにして、「ちゃんとしていけ」と任せてしのぐ。それをみていた部長が「あいつ、人使いが上手いな」と思い、分社化の際にSISへ出向させるメンバーのリーダー候補に選んだらしい。

 2年目は、ガス料金調定システムの再構築。検針したガスの使用量から料金を計算して客に請求し、払われない客に督促を出すシステムだ。

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