人を笑顔にすると楽しい(写真:本人提供)

稼ぐつもりで創った檀家管理システム 売れたのは1件だけ

 32歳で、SISの係長のときだ。親会社から「グループのシステムを手がけるだけでなく、外からも稼げ」と言われ、外販用ソフトを開発した。まず、檀家管理システムをつくる。寺の檀家の名簿や命日の管理、葬儀や法事などへ出向いた際の収入などが簡単に処理できる、と触れ込み、寺院へ売り込む。「極めて楽ができます」という意味で、ソフトに「極楽」と名付けた。だが、ニーズがなく、一つしか売れない。

 次は、赤ちゃんの命名ソフトだ。名字と画数、どんな大人になってほしいかなどを入力すると、候補の名前が出てくる仕掛け。周囲に話しても手応えがなく、構想段階でやめた。

 ただ、職場に笑いと明るさが湧いた。そして、「やめるときは、早くやめる」という道永流も定着していく。最近、若手社員に「サンダル履きで頑張り」と言っている。サンダルなら、すぐに履けて出ていける。脱ぐときも、ぱっと脱げる。「駄目だったら、すぐにやめて戻れ」との意味で、つくった言葉だ。

土にまみれた両親 繰り返していた「勉強して頑張りよ」

 1957年11月に福岡県筑紫野町(現・筑紫野市)で生まれ、一人っ子だ。実家は専業農家で、父母は稲作のほかに野菜もつくっていた。福岡市の博多駅まで電車で約15分。『万葉集』にある大伴旅人の歌に出てくる二日市温泉が近く、少年時代に10円玉を握って通った。

 両親は、いつも土にまみれて働いていた。まだ豊かさがなかなか伴わない時代、父は農作業の合間に土方仕事へもいっていた。父母は、息子には豊かさを味わってほしいと思って「あんたは、ちょっと勉強して、頑張りよ」と繰り返す。

 忘れられないのは、小学校5年生のときの授業参観。母が、農作業が忙しいなか、駆けつけてくれた。うれしくて「とにかく母を喜ばせたい」と考える。参観は理科の実験で、父母から質問を受けてとっさに出た答えが、大爆笑をとった。同級生の親たちは、母に「息子さんは頓智がきいとうね」と言ったらしい。そのときの母のうれしそうな顔が、いまも頭にある。

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