しかし、その勝家は秀吉と対立。賤ケ岳の戦いに敗れ、北庄城でお市の方と共に自害。秀吉に保護された三姉妹はそこから、別々の道を歩むことになる。
茶々は、やがて豊臣秀吉の側室となって淀殿と呼ばれ、豊臣秀頼を生んだ。秀吉の死後は秀頼の後見人となって豊臣政権の復活を目指した。初は、京極高次に嫁ぎ、情報判断に疎く「蛍大名」などと呼ばれた夫を支えた。大坂冬の陣では、豊臣方として和議をまとめたとされる。江は、3度目の政略結婚で徳川秀忠に嫁ぎ、2代将軍の正室として3代将軍となった徳川家光を生む。大坂の陣では、7歳で豊臣秀頼に嫁いだ娘の千姫と敵味方に分かれた。
戦国時代、多くの女性たちが実質的な人質として嫁いだが、この3人ほど、政略結婚に翻弄された姉妹はいないと言っていいだろう。
(構成 生活・文化編集部 上原千穂)