「僕にとって俳優の仕事は生きるための手段。1年、2年で(人気を)競い合ってもしょうがない。70年間ご飯を食べられたヤツの勝ちなんだと思う」(若葉)(撮影/植田真紗美)

 若葉は1989年、大衆演劇「若葉劇団」の三男として生まれた。一座を率いる父と、元バスガイドの母、2人の兄と妹弟と日本各地を転々とし公演をする生活だった。物心ついたときから芝居をするのが当たり前だったと若葉は言う。

「父は師匠であり、家に帰ってご飯を食べているときは父親。きょうだいも舞台ではライバルで、家に帰るときょうだいになる。その環境に常にへんな気持ち悪さと居心地の悪さがありました」

 演目は毎日変わり、本番後に毎日違うセリフと動きを覚えなければならない。父の指導は厳しく、舞台で失敗するとご飯抜き。兄たちが座長を目指して必死で鍛錬するなかで若葉は違和感を抱いていた。覚えたセリフを一生懸命に大きな声でしゃべるなんて滑稽だ。なにがよい演技かもわからないまま、怒られるのは理不尽だ。子役を集めた大会では花束や祝儀袋の多さで競わされる。「稽古をつけてください!」と前に出ていく同世代を冷めた目で見ていた。若葉にとって俳優はあくまでも「ご飯を食べるための手段」でしかなかった。

「4TEEN」での芝居が 映画への興味のきっかけに

 若葉が5歳のころ、テレビドキュメンタリーのカメラが一座を追いかけ始めた。歌舞伎俳優の坂東玉三郎の名にひっかけた「チビ玉三兄弟」としてオンエアされ、人気に火が付いた。「将来は座長になりたいんだよね」「がんばってね」と大人たちがはめてくる「型」に苛立(いらだ)ちを感じた。子どもらしい時間を奪われた若葉にとって、大人はみな自分を抑圧する敵に映った。

 小3のとき両親が離婚し、母と暮らしながら大衆演劇のほかテレビドラマにも出演し始める。だが、やはり演技をおもしろいとは思えず「早く撮影が終わればいいのに」と願うばかり。そんな14歳のとき、最初の転機が訪れた。

 映画「ヴァイブレータ」で知られる監督の廣木隆一(69)は、石田衣良原作の「4TEEN」の映像化にあたり、役と同じ14歳のキャストを探していた。オーディションにやってきた若葉の名前は「チビ玉三兄弟」の番組で知っていた。デビューしたての柄本時生(えもとときお)、落合モトキら同世代の役者のなかで、若葉は一番落ち着いて見えたという。

「まあ、みんな大変でしたよ。芝居しようとするから。自然なのが欲しかったんだけどね」(廣木)

 若葉も振り返る。

「廣木さんがどれだけ凄(すご)い人かもわかってなかったんですが、やってみたら大衆演劇とは手触りも求められるものも全く違った。全然OKが出なくて『違う、違う』って言われ続けてたとき、廣木さんに言われたんです。『わかりやすい演技なんて必要ない。演技じゃなくて、お前の生きてきた14年間を見せてくれればいいんだよ』と」

 わけがわからず、半ば「どうにでもなれ」と決められた段取りを無視して、ぷいと外に出た。するとカメラが自分についてきた。台本通りではないやりとりが自然に生まれたとき「オッケー!」の声がかかった。その瞬間、演じることを嫌ってきた14年間を救ってもらえた気がしたという。

「お前自身でいいんだよ、お前が必要なんだよ、と言われた気がして」(若葉)

 以降、映画に興味が湧いてきた。自宅から自転車を飛ばし、吉祥寺バウスシアターに通い、映画を観るようになる。

(文中敬称略)(文・中村千晶)

※記事の続きはAERA 2023年12月11日号でご覧いただけます

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