ここが赤道直下であることを示す看板。赤道直下でもトロピカルな感じはない。かなり肌寒かった。ナニュキ・ケニア 2002年/Nanyuki,Kenya 2002
ここが赤道直下であることを示す看板。赤道直下でもトロピカルな感じはない。かなり肌寒かった。ナニュキ・ケニア 2002年/Nanyuki,Kenya 2002
早朝、宿のストーブに薪をくべるスタッフ。 プレトリア・南アフリカ 2009年/Pretoria,South Africa 2009
早朝、宿のストーブに薪をくべるスタッフ。 プレトリア・南アフリカ 2009年/Pretoria,South Africa 2009

 広大なアフリカ大陸のうち25カ国を訪ねてきた、フリーランスライターで武蔵大学非常勤講師の岩崎有一さんが、なかなか伝えられることのないアフリカ諸国のなにげない日常と、アフリカの人々の声を、写真とともに綴ります。

【アフリカン・メドレー フォトギャラリー】

 とても暑いというイメージのあるアフリカの国々。今回はそんなイメージを変えてしまうかもしれない意外なお話です。

*  *  *

 東京の夏は、暑い。日中は陽を照り返し、夜になっても熱を抱えるアスファルトの地面に覆われるなか、40℃に迫る気温と湿気の多い日々の連続は、身にこたえる。そして、辛いのは日本人だけではない。アフリカ各国から来日された人々にとっても、この暑さはしんどいと聞く。東京の夏は本国よりもはるかに過酷だとの声を、これまでも度々耳にしてきた。

 アフリカを語る際、「灼熱の……」と形容されることがあるが、灼けつくような暑さを強いられる地域は、実はそれほど多くはない。東西に横たわるサハラ砂漠の南に接する、ニジェールやチャド、スーダンといった国々など、一部地域では気温が40℃を超えることがあるものの、西部から中部にかけてのほとんどの国では、昼間の最も暑い時間帯でも、おおよそ30℃前後だ。湿度は地域によって様々だが、それでも、東京の夏ほどに過酷ではない。

 2002年のこと。日向では温度計の針が50℃を振り切ってしまうほどの暑さだったスーダンを旅していた私は、陸路国境を越え、隣国のエチオピアへ入った。エチオピアは、標高2000メートルを超える高原を抱える天空の国だ。列車のスイッチバックを思わせるつづら折りの道を進むにつれ、気温はぐんぐんと下がていく。夜になってやっと宿にたどり着いた頃には、私の体はすっかり冷え切っていた。手元の温度計の針は、5℃を指している。陸路をたった2日移動しただけで、40℃以上の気温差を感じることとなるとは思わなかった。

 屋内に入ってもブルブルと震え続ける私を見て、宿を営むご家族は、熱いコーヒーと、炒り卵をふるまってくれた。宿のご主人は、「食べれば、体が熱くなる」と、片言の英語で一言。大変ありがたかったのだが、「炒り卵ではそんなに温まらないですよ……」と思いつつ食べてみると、ご主人の一言に合点がいった。炒り卵にたっぷり散りばめられた緑色の野菜は、刻んだ青唐辛子。顔から汗が噴き出し、体がじんわりと温まってきた。

 ありったけの服を着込み、厚手の毛布にくるまって、床に着く。熱い味噌汁が、恋しくなった。

 肌寒い気候は、エチオピアだけではない。

 多くの野生動物を抱える国立公園で有名なケニアやタンザニアも、朝夕はかなり冷え込む。毛糸のセーターを着込み、ミルクティーにシナモンなどを加えた熱いチャイをすする人々の姿を、あちこちで見かけるほどだ。

 ジンバブエのガソリンスタンドに併設されているキオスクで、冷えた体を温めようとコーヒーを求めにやってきた夜警のガードマンたちが、白い息を吐きながら談笑していた。長身をぎゅっと前に屈め、両手を口元に添えて吐く息で温めては、手をさすっている。「今日も冷えるね」と声をかけ、私もその輪に加わった。

 ナミビアや南アフリカ共和国まで南下すると、日中でも気温が20℃に達しない季節が長く続く。暖炉を備えた家屋も多く、朝は、薪をくべることから始まる。ごくたまに、雪が降ることも。アフリカの東部から南部にかけての国々では、汗ばむこともあるが、気候は概ね冷涼だ。地域によっては、案外、アフリカも寒いのだ。

 時期と地域によっては、避暑を目的にアフリカの地を訪ねるのも、当然アリ。ただしくれぐれも、防寒着をお忘れなく。

岩崎有一(いわさき・ゆういち)
1972年生まれ。大学在学中に、フランスから南アフリカまで陸路縦断の旅をした際、アフリカの多様さと懐の深さに感銘を受ける。卒業後、会社員を経てフリーランスに。2005年より武蔵大学社会学部メディア社会学科非常勤講師。

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