--今度の「ありふれた奇跡」はホームドラマでありラブストーリーでもあるとか。ホームドラマにラブストーリーとくれば、昔の松竹のオハコです。
山田 松竹の社長だった城戸四郎さんがおっしゃっていたんです。政治経済を描いてもいいけれど、家族を通して描けと。そこに政治も経済もおのずから反映しているはずだってね。その家族劇の方法論にぼくはとても共鳴し、影響を受けています。
--58年に松竹入社。助監督としてつかれた木下恵介監督はどんな方でした?
山田 非常に才気があって。今見ても傑作だと思う作品がいくつもあります。ずいぶん監督の口述筆記をやりました。泣くシーンになると役になりきり、自分でも涙を流しながら男女両方のセリフを語る方でした。
--役者に近い。
山田 ライターは多かれ少なかれそうでしょう。ぼくも男の役も女の役も声を出して書きます。そうしないとリズムがつかめない。口述筆記は、物語の仕組みや流れをつかむ、とてもいい勉強になりましたね。
--女性を美化しない描き方とか、木下監督は同性愛的な感性の持ち主だったと思うのですが。
山田 そう、女嫌いなところはあった。男が周りにいたほうが心をかき乱されないというか。木下さんに言い寄られて断った男優さんがその後使われなくなったという噂もありました。でもぼくが助監督のときにはそんなことはなかったと思う。だからよく分からないんです。本を書くときは木下さんと旅館に籠もることが多かったのですが、言い寄られたことは一度もなかったですしね。まあ、ぼくに魅力がなかったのかもしれないけど。
--65年に脚本家として独立。そして70年代以降、「男たちの旅路」「岸辺のアルバム」「早春スケッチブック」「ふぞろいの林檎たち」と、テレビ史に残る連ドラのヒット作を立て続けに書いておられる。
山田 どの局にもぼくの作品に共感してくれるスタッフがいて、人に恵まれていました。
--なのにどうしてもう連ドラは書かないと決心なさったんですか。