――すごく心配性な親や神経質な親が一人で訴えている場合は、「診断基準は満たさない」ということになりますか?

 たとえば極端な例ですが、「子どもをなんとしてもインターナショナルスクールに入学させたい」というお母さんが、子どもに遊ぶことも許さず英会話のレッスンに通わせているような、子どもにとっては能力を超えたタスクが与えられているような状況を想像してみてください。親の要求に応えきれず情緒的に揺れてしまった子が、学校に入って癇癪を起こし注意力散漫になるなどの問題を引き起こしているような場合、これを「発達障害」と呼ぶべきでしょうか。初診の聞き取りで得られる情報はどうしても限られてくるので、その後の経過で親御さんの人となりやその家庭の文化背景などさまざまなことが少しずつ見えてきて、子どもの認知・能力特性の偏りというよりも、過剰な期待を強いられている子どもなんだなとわかってきます。

 また、逆に対人場面で不安が強いということで一見、不安症と診断されがちなケースでも、親御さんが訴えている内容をよく吟味すると、実はその背景にASDが存在しているという場合もあります。そのようなケースでは、親御さんしかASD特性を訴えていなくても、発達障害の診断はされます。ただそのような場合は、子どもの「生活に困難を呈している(不安になっている)場面」は、家庭だけではなく広範な場面であるとも言えます。

 そういったさまざまな要因を総合的に診断すべきですが、初診の段階ではそこまでは難しいので、本人の様子や親御さんからの聞き取り情報を統括して、とりあえず「多動的な問題かな?」「自閉的な問題かな?」など仮置きの診断をしているのではないでしょうか。そのような場合に「グレーゾーン」という言い方を使う医師もいます。ただ先に述べたように、典型的で偏りが極端な場合は、初診であってもかなりの確信を持って診断していることもあると思います。

――グレーゾーンというのは、「軽症」を指すのではなく、「診断がつかない」という状態ですか。

 グレーゾーンは医学的な診断名ではなく、その概念はかなりあやふやです。多動的な問題があるけれども多動以外の問題もいろいろありそうな子に対して「ADHDに関してはグレーゾーン」などと伝えている医師もいれば、「認知・能力特性の偏りが軽度である」ということをグレーゾーンと評している医師もいると思います。また医師としては「明らかに発達障害特性はある」と考えつつも、学校や家庭の評価などで明らかな支障が訴えられていない場合に使われていることもあるように思います。

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