ガザ市でイスラエルの攻撃により、自宅が破壊されたパレスチナ人らが集まるアル・シファ病院=11月8日撮影(写真 ロイター/アフロ)

病院への空爆に怒り

 空爆は1カ月やむことがなく、病院も被害を受けている。国連のアントニオ・グテーレス事務総長が非難声明を出すなど、国際社会の批判は高まっている。

「国際人道法によって、医療施設や学校は戦時下でも攻撃の対象にしない、と定められています。戦争にもルールがあります。にもかかわらず、空爆を受け、そこで働く医療従事者や患者さんが命を落としています。本当に許されないことですし、心から怒りを感じています。

 国境なき医師団は、現地で十分な医療が行き届かない人たちをサポートするのが役割です。私たちはガザの皆さんに温かく受け入れていただき、みんながよく知っている存在です。私たちの車や着ているベストを見て『体調が悪い人がいる』『けが人がいるから助けてほしい』と声がかかりましたが、薬はなく、医療器具もなく、何もできませんでした。もどかしい気持ちがずっとありました」

 避難生活では水や食べ物、物資を確保するのも大変な日々だったという。

「ガザはもともと『天井のない監獄』と言われ、物流や生活インフラが満足な状態ではありません。それが、空爆が続くことによって、より不安定になっています。赤ちゃんのオムツはもうありません。毛布や布を切ったもので代用していましたが、汚れても洗う水がない。お風呂に入れないので、身体を清潔に保つことができない。お母さんたちは子どもたちを守るために必死だけど、もう本当に何もないんですよ。今頃は大きな感染症が広まっているのではないかと心配しています。また、物や食糧の取り合いや小さなケンカが起き、治安が悪化していることを感じていました。

 ガザは平均年齢がとても低い地域で、人口の約半分が18歳以下です。空爆が始まって1カ月で約1万人が亡くなったと報道されていますが、その半数近くは何の罪もない子どもたちだということも皆さんに知っていただきたいです」

隔離されて死ぬのかと

 避難生活を送りながらも、ネットや電話を使って現地の様子を日本に伝えてきた。だが日に日に通信環境が悪化したという。

「避難生活が始まった当初はインターネットを使うことができたので、主要メディアを見たり、私たちのチームリーダーがエルサレムにある国境なき医師団の事務所と連絡を取って最新情報をシェアしてくれたりしました。電話やテキスト送信もかろうじてできる状況だったので、日本に現地の様子を知らせるために必死でメッセージを送りました。でも、南部に移動してからは通信状況がどんどん悪化しました。10回かけて1回つながればいい、そんな状況になりました。

 10月末、通信局が破壊されて全てのネットワークが切れました。電話はもちろんテキストメッセージもできず、日本の家族とも連絡が取れなくなった時、命の危機を感じました。

 避難生活では通信手段が本当に重要なものだったんです。私たちは現地の言葉が話せないので、現地のスタッフが命がけで食糧や水を探してくれていたのですが、それまでは事前に電話して在庫を確保し、安全なルートを調べてからお店に出向いていました。それができなくなってしまいました。救急車さえも呼べない。通信と情報が途絶えたときは、精神的にも物理的にも隔離されて、ここで死んでしまうんじゃないかと追いつめられました」

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後ろ髪引かれる思いで出国した