中村文則は今もっとも目がはなせない作家だ。2002年に『銃』で新潮新人賞を受賞してデビューしたころは、器用な若者だなと思う程度だった。05年に『土の中の子供』で芥川賞を受賞したときもそう。だが09年の『掏摸』を読んで「すごい!」と感動した。そして、『王国』『教団X』と力作が続いて、こんどは『あなたが消えた夜に』だ。まだ30代だというから、恐ろしい。
『掏摸』はタイトルの通り、スリの話を徹底的にリアルに描いた小説だった。『あなたが消えた夜に』は著者初の刑事ものである。
 主人公の「僕」は都内所轄署の若い刑事で、連続通り魔事件を担当する。警視庁捜査一課との合同捜査だ。といっても所轄と本庁との関係はギスギスしている。幹部たちは事件を自分の出世のネタにしか考えていない。事件をわかりやすい形で「解決」するなら、冤罪だって辞せずというのが幹部たちの腹の底だ。「僕」は本庁の意向を無視して、事件のほんとうの真相に迫ろうとする。このへんの設定は類型的で、もしかしたらパロディかもしれないと思わせる。
「僕」は悪夢にとりつかれている。これが事件とどのような関係にあるのか、読者は気にしながら読み進むはずだ。そうすると、小説内での虚構と現実の境界があやふやになり、不条理な世界に投げ込まれた気分になる。著者が傾倒したというカフカやドストエフスキーの世界を思わせる。
 ところが、文体も含め、全体としては軽やかなのだ。「僕」とペアを組む本庁から来た「小橋さん」は素っ頓狂な女性で、たとえば聞き込みのあいだずっとパフェと真剣に格闘している。なんだか刑事ドラマのパロディのよう。
 連続殺人事件の真相はなんだったのか。誰が被害者で誰が加害者だったのか。読んでいくうちにわからなくなってくる。第三部に至って「なんだ、これは!」と思わず叫んだ。もういちど最初から読み直したくなる傑作だ。

週刊朝日 2015年6月19日号